三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。


R.シュトラウスの「4つの最後の歌」

2025年03月20日 13:11

はじめに.

 伊勢管弦楽団では、R.シュトラウス(1864-1949)の曲について、近年では2017年に組曲「ばらの騎士」より抜粋+歌劇「ばらの騎士」第3幕の3重唱を、そして2023年には、交響詩「死と変容」を演奏しました。これらの曲は、シュトラウスの青年期~壮年期の作品であり、今回演奏する「4つの最後の歌」は「死と変容」からは約60年、「ばらの騎士」からでも40年近い年月が経過していました。85年間の人生の中で、1933年から1947年までは、ほとんどのドイツ人、オーストリア人と同様にシュトラウスにとっても最悪の時代であり、作曲などの創作活動も実りの少ない時代でした。

シュトラウスの青年期・壮年期の生涯については、これまでも指揮者の部屋で述べてきましたので、今回はまず晩年のシュトラウスの生涯について述べてから、「4つの最後の歌」について解説をさせていただきます。なお生涯については、岡田暁生著『作曲家◎人と作品 リヒャルト・シュトラウス』音楽之友社、2014を参考にしました。

Ⅰ. シュトラウスの晩年の生涯(69歳から85歳まで)

 1933年にナチスが政権を取ると、シュトラウスの生涯は悲劇的なものになっていった。1933年にバイロイト音楽祭で出演をキャンセルしたトスカニーニのかわりに、音楽祭の危機を救おうとして、無報酬で「パルジファル」を指揮した。ヴァーグナーが好きであったヒトラーや宣伝省大臣ゲッベルスは、シュトラウスに急接近して、シュトラウスを1933年に帝国音楽局総裁に任命した。しかし、当時作曲したオペラ「無口の女」の台本作家であったツヴァイクがユダヤ人であったという理由だけから、公演のポスターにツヴァイクの名前が載せられていないこと、ツヴァイクもこれ以上台本を書けないと言ったことなどを契機として、1935年には帝国音楽局総裁を辞任した。その後は、ウィーンでほとんど閉じこもりの状態であったが、最後のオペラ「カプリッチョ」だけは、1942年の初演以来、人気を博した。しかしシュトラウスの思い出が深かったミュンヘン、ベルリン、ウィーン、ドレスデンの歌劇場は次々と破壊されて、シュトラウスは1945年3月に絶望的な心境の中で「メタモルフォーゼン」の作曲を始めた。ドイツは1945年5月に無条件の降伏となった。1945年10月には、シュトラウスはスイスに実質的に亡命した。ほとんどの財産を失ったシュトラウスに支援を申し出たのは、イギリスの出版社ブージー&ホークスであった。1948年、息子のフランクがシュトラウスを訪ねた時「お父さん、これ以上、苦悩することはやめてよ。そんなことは誰の役にも立ちはしないよ。それよりも素敵な歌曲を2、3曲書いてみたら。」と提案した。数か月後に息子夫婦が再訪すると、「これ君の旦那が注文したリートだよ」と言って、息子嫁のアリーチェに4つの管弦楽伴奏による歌曲のスコアを手渡したとされている。1949年9月8日、シュトラウスは死去した。シュトラウスの死後、「4つの最後の歌」としてブージー&ホークス社が編集して出版した。

Ⅱ. 「4つの最後の歌」の作曲の時期と曲順について

 「4つの最後の歌」は、同じ管弦楽伴奏によるマーラーの「さすらう若人の歌」や「亡き子をしのぶ歌」のような連続したストーリーのある連作歌曲ではなく、一曲一曲が独立した内容をもつ歌曲集である。しかし、曲のもつ雰囲気、聴き手に訴える内容に共通性が多いこと、またこの曲集を「4つの最後の歌」としてまとめた友人の出版商ロートやブージー&ホークス社などの成果もあり、歌曲集「4つの最後の歌」として演奏され続けている。4曲の作曲順は下記のようになっている。

1948年4~5月「夕映えの中で」作曲

1949年6月「春」作曲

1949年8月「眠りにつく時に」作曲

1949年9月「9月」作曲

1950年5月22日に、フルトヴェングラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団、フラグスタートのソプラノによって初演された時は、「眠りにつく時に」→「9月」→「春」→「夕映えの中で」の曲順で演奏された。この曲順が演奏者の考えによるのか、シュトラウス自身の希望によるかは不明である。初演の9か月余り前にシュトラウスは亡くなっており、シュトラウスは初演を聴くことができなかった。ブージー&ホークス社の出版では、「春」→「9月」→「眠りにつく時に」→「夕映えの中で」の順となっている。

「9月」「眠りにつく時に」「夕映えの中で」は、人生の疲れや死がテーマとなっており、共通点が多い。曲集の中で最も魅力的であり、4楽章のソナタ形式の楽曲における緩徐楽章的存在となり得る「眠りにつく時に」の特徴を考えると、「眠りにつく時に」を3曲目に置くことによって、この曲順はまとまった曲集としての魅力を増しているのではないだろうか。現在録音されている演奏は、ほとんどがこの曲順によっている。また、「春」と「9月」の順についても、「春」がAllegrettoのテンポでc mollで始まりA durであること、「9月」がAndanteでD durが主要調性であることを考えると、「春」→「9月」の方が調性の流れも自然である。

Ⅲ. 4曲の歌詞の大意とその特徴

 「春」「9月」「眠りにつく時に」の3曲はヘッセ、「夕映えの中で」はアイヒェンドルフの詩によるが、様々な訳があり、今回はその概要と象徴的と思われる点のみ記した。

1.春

 暗い冬の中で春のあこがれを歌う。最後には、「君の(春のこと)聖なる存在に、私の体は震えている」と歌うが、「春」全曲にわたって転調もめまぐるしく表情も多様で、どこかに寂しさを感じさせる雰囲気で終る。

2.9月

 9月の雨や落葉を歌っているが、夏とはシュトラウスにとっては、ドイツ・オーストリアの歌劇場などで活躍した日々を示唆しており、「9月」の中に、その夏の終りを象徴した寂しさなどの思いを秘めやかに表現しているのではないだろうか。「夏は安らぎを切に願いながら、ゆっくりと、大きく疲れた眼を閉じる」と歌われる、曲の名残を惜しむようなエンディングは、シュトラウスがこの4曲の中で最後に作曲しただけに、印象的である。

3.眠りにつく時に 

 この曲集の中で白眉であり、「ばらの騎士」のような美しさと最晩年のシュトラウスが到達した高みを兼備した傑作である。前半では昼の(つまり日常での)疲れを歌い始めるが、最も感銘を与えるのは後半1/3の部分である。ヴァイオリン・ソロの美しい間奏の後で、ソプラノが以下のように歌う。

「そして魂は、誰にも見張られる事なく自由な飛翔の内にたゆたおうとする、夜の魔法の世界の中で深く、千倍も生きるために。」

最後のTief und tausendfach zu lebenの訳は通常は「深く、千倍も生きるために」などと訳されるが、ヘッセの著書などを数多く訳している高橋健二は「深く千変万化に生きようとする」と訳した。「死と再生」というテーマがこの詩には秘められているのかもしれない。

4.夕映えの中で

 「長い人生の旅をしてきた2人が夕映えのなか、静寂な土地を見下ろしている。そこでは空が暗くなり、二羽のひばりが舞い上がる。」

 冒頭の前奏はヴァイオリン、ヴィオラなどのユニゾンで情熱的に始まるが、ソプラノが上記のように歌い始めて、音楽は次第に影がさして、最後は「何と私たちは旅に疲れていることか」「これが、死というものだろうか」と、死(Tod)という言葉で歌は終り、シュトラウスの交響詩「死と変容」の主題が一瞬現れ、諦念とも祈りとも区別がつかないような静けさの中で曲は終わる。

おわりに

 今回の原稿の作成にあたり、ソプラノ・ソロを歌ってくださる廣めぐみ先生に曲への想いなどの寄稿をお願いしたところ、ご快諾いただきました。以下にその原稿を掲載させていただきます。廣先生にはこの場をお借りして、心より御礼申し上げます。

 「今回、伊勢管弦楽団の大谷正人先生からR.シュトラウス「四つの最後の歌」の演奏依頼のお話をいただいた時に、不思議な運命を感じました。大学時代にタイトルに惹かれてCDを聴いてはみたものの、かなり難解な曲で歌うのを断念したからです。時が過ぎてようやく歌う機会が到来したと思うと喜びで胸がいっぱいです。

管弦楽と声楽の作品は宗教曲をはじめ、オペラ、交響曲のジャンルでは数々ありますが、管弦楽と声楽が組み合わさった作品は数えるほどしかありません。後世まで途絶えることなく演奏されているこの作品は1曲目から終曲へと人生を辿っていく物語のようでもあります。R.シュトラウス自身が第二次世界大戦という大変な境遇を経験したことから、晩年、「人が生きること」という原点に戻って創り上げた渾身の4曲なのだと思います。詩と管弦楽、歌が融合する時間が生み出せるようにメンバーの一員となって演奏させていただきます。」 

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