三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。
伊勢管弦楽団 松阪特別演奏会について
2020年10月24日 22:49Ⅰ.はじめに
2020年は、世界中が新型コロナウィルス感染症のため震撼させられた一年となりました。クラシック音楽の世界も同様で、2020年の3月頃から夏までのシーズンはほとんど全てのコンサートがキャンセルとなり、練習も思うようにできませんでした。伊勢管弦楽団も同じ状況で、2020年5月17日に予定していた第39回定期演奏会は延期となりました。2020年12月13日は、本来はクラギ文化ホールで第10回目の松阪第九コンサートが開催される予定でしたが、大人数での合唱は、感染予防に必要な十分な距離が確保できないなどの事情もあり、伊勢管弦楽団が代わりに演奏会を単独で担当させていただくことになりました。
2011年の東日本大震災の時も、多くの困難の中、音楽を職業として、また生きがいとして演奏活動などをしている者として、音楽を通して何ができるのかという問題をつきつけられましたが、今回も、このような厳しい社会状況の中で演奏会を開催する意義が問われていると思います。音楽をはじめ芸術活動は、緊急事態において不要不急のものとされがちですが、芸術は、そもそも危機の状況においてこそ、平常時にも増して人々に喜びや生きる勇気を与えてきました。
演奏会や日々の練習において、新型コロナウィルスの感染予防に最大限留意しなくてはいけないのは当然のことですが、それらの対策を講じた上で、伊勢管弦楽団は2020年12月13日の松阪特別演奏会の実現に向けて、精一杯の努力をしています。この演奏会にご来聴いただける方々と共に音楽の感動を体験できること、そして演奏会に関わって下さる方々にとって喜びとなることを心から願っています。
Ⅱ.プログラムについて
コロナ禍の中での演奏会では、3つの密を避ける上で休憩時間を設定することが困難なため、まず総演奏時間が70分程度になるよう構成しました。新型コロナウィルスの第3波に今後襲われることがあった場合、練習の仕方を柔軟に工夫していかなければならないため、弦楽合奏という編成の楽曲も選びました。本日は、まず最初に弦楽合奏曲で最も人気の高い曲であるチャイコフスキーの弦楽セレナードを演奏させていただきます。弦楽セレナードの輝かしい響きは、コロナ禍による閉塞されたような雰囲気を改善させることができるのではないでしょうか。2曲目は、ベートーヴェンのエグモント序曲としました。今年はベートーヴェンの生誕250周年というメモリアル・イヤーです。本来なら、日本の各地で例年以上に交響曲第9番などのベートーヴェンの傑作が演奏される予定でしたが、特に第九については前述のように困難が多いため、今回はエグモント序曲を選びました。「苦悩を経て歓喜へ」という流れは、ベートーヴェンのみならず人類にとって共通のテーマであり、エグモント序曲は8~9分の小品ですが、その短い時間に展開されるドラマは劇的で、ベートーヴェンの不滅さを象徴する名曲です。演奏会の最後には、シューマンの交響曲第4番を演奏させていただきます。この曲を選んだ理由は、伊勢管弦楽団が33年前に初めて松阪市民文化会館で定期演奏会を開催した時のメイン曲目であったこと、2管編成で規模が大きくなく、トロンボーンも加わり、伊勢管弦楽団のほとんどの奏者がともに演奏できること、幻想曲のような雰囲気をたたえていますが、曲は全楽章が有機的に構成されており、情熱にあふれ、聴いてくださる方々と感動を共にしやすいのではないか、と考えたためです。
Ⅲ.3曲の曲目解説
1.チャイコフスキーの弦楽セレナード
チャイコフスキー(1840-1893)は、1880年に弦楽オーケストラのために弦楽セレナードを作曲しました。1878年に、チャイコフスキーはモスクワ音楽院を退職しました。この頃フォン・メック夫人からの経済的支援もあって自由に作曲に没頭できるようになり、交響曲第4番、歌劇「エフゲニー・オネーギン」のような名曲を作曲していました。チャイコフスキーは、この弦楽セレナードに自信と愛着をもっていたようで、フォン・メック夫人に手紙で「この曲は私の内部からの衝動によって作曲しました。私は、この曲が芸術的な価値を持っていると確信しています。」と書いています。弦楽合奏のための曲は、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ドヴォルジャーク、ヴィラ・ロボスなどによる様々な名曲はありますが、曲の規模、旋律の美しさ、訴える力の大きさなど、どれをとっても、チャイコフスキーの曲が最も人気があります。第1楽章「ソナチネ形式の小品」、第2楽章「ワルツ」、第3楽章「エレジー」、第4楽章「ロシアの主題によるフィナーレ」というように、チャイコフスキー自身が副題をつけています。中間の2つの楽章はロシア的情緒にあふれていますが、第1・4楽章はチャイコフスキーのモーツァルトへの愛情も明らかに表現されています。
2.ベートーヴェンのエグモント序曲
エグモント伯(1522-1568)は、歴史上実在したベルギーの貴族です。宗教改革によってベルギー(当時のネーデルラント)では、プロテスタントが広まりました。支配者であるスペインはカトリック教の国です。そのような不安定な社会状況の中で旧教側の支配者であるスペインと民衆との間に立って、エグモント伯はスペインの圧政に対抗しましたが、最後は逮捕されて処刑されました。ゲーテがその話を戯曲にし、ゲーテを敬愛していたベートーヴェンは1810年にその劇音楽を作曲しました。その中で序曲はそのドラマティックな魅力もあり、今日まで世界中で演奏され続けています。
3.シューマンの交響曲第4番ニ短調
シューマン(1810-1856)が、クララとの結婚において、その父親であるヴィークの猛反対のため裁判までおこしてようやく実現できたのは1840年のことでした。シューマンのそれまでの作曲の中心はピアノ曲、そして歌曲でした。しかし、安定した家庭を獲得したシューマンにとって、自らの歴史的・社会的な責任の自覚、とりわけドイツ音楽で最も敬愛する作曲家ベートーヴェンやシューベルトへの意識や、シューマンが当時住んでいたライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団(メンデルスゾーンが指揮者)の存在などによって、管弦楽曲の作曲に重点を移しました。1841年は管弦楽作品を次々と作曲し「交響曲の年」と呼ばれています。シューマンがその楽譜の存在を発見したシューベルトの交響曲第8番ハ長調が1839年に初演されましたが、その初演を聴いたシューマンはクララに手紙で「君が僕の妻になり、僕がこのような交響曲を書けたら」と書いています。1841年に2曲の交響曲が生まれましたが、2番目の交響曲として作曲されたのが、のちに第4番となった、このニ短調の作品でした。しかし、この交響曲の完成度に疑問もあったシューマンは、1851年に改訂し、1853年に出版されたため、出版年の順によって今日まで第4番として親しまれています。曲は、4つの楽章から構成されていますが、全楽章が休みなしに演奏され、第1楽章序奏の主題、提示部の主題が第2、3、4楽章にも出現し、全曲が幻想曲のような雰囲気の中でも緊密に構成されています。第1楽章:かなりおそく‐いきいきと、第2楽章 ロマンツェ:かなりおそく、第3楽章 スケルツォ:いきいきと、第4楽章 フィナーレ:おそく‐いきいきと、の4楽章から成っています。特に第3楽章の2回目のトリオから第4楽章の序奏に切れ目なく移り、崇高な盛り上がりを示す場面が感動的で、その後、第4楽章は躍動的に進み、全曲の最後はテンポを上げて熱狂的に終わります。
伊勢管弦楽団 音楽監督 大谷 正人
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