三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。
リヒャルト・シュトラウスの「死と変容」
2023年04月08日 14:51はじめに
リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の生涯については、2017年の第36回定期演奏会の前に「ばらの騎士」などについての原稿(2017年1月22日掲載)の中で述べましたので、ご一読いただければ幸いです。R.シュトラウスが交響詩を数多く作曲したのは、1886年から1898年まで、すなわちR.シュトラウスの20代から30代にかけての青年期~壮年期で、この時代にR.シュトラウスは7曲のしばしば演奏される交響詩を作曲しました。当時シュトラウスは次のように語っていました。
「新しい思想は新しい形式を求めねばならない。リストの交響作品では、詩的想念が同時に形式を作る要素になっており、リストの掲げたこの基本原理は、その後の私の交響作品の創作を導く道しるべとなった。」
交響詩は基本的には1楽章形式で、詩的あるいは絵画的内容を管弦楽によって表現しようとしたものですが、その実質的な創始者であったリストの場合とやや異なり、R.シュトラウスでは「ただ音だけで真実を表現し、言葉ではただ暗示するだけ」と語っているように、標題の詩的観念をそのまま音楽で表現するというよりは、音楽による一つの世界を表現するために様々な題材を利用したと考えた方が妥当かもしれません。
Ⅰ 「死と変容」の標題について
R.シュトラウスの父親のフランツ・シュトラウスは、ミュンヘン宮廷管弦楽団の卓越した第1ホルン奏者であったが、徹底的なアンチ・ヴァーグナー派だったこともあり、R.シュトラウスは、子どもの時はヴァーグナーの世界にそまらずに音楽的教育を受けてきた。R.シュトラウスにヴァーグナーやリストの音楽の魅力を伝授したのは、リッターというヴァイオリニスト兼作曲家であった。R.シュトラウスは、1885年からマイニンゲン宮廷管弦楽団の指揮者をしていたが、マイニンゲンで同楽団のヴァイオリン奏者であったリッターと親しくなった。
R.シュトラウスは「死と変容」を作曲してから、リッターに内容を詩にするように依頼した。リッターによる詩の大要は次のようであり、出版時も総譜の冒頭に掲載された(詩の要約は渡辺譲による)。
小さな貧しい部屋の中で、病人は死との戦いにつかれ果て眠っている。柱時計が時を刻む。病人は子供の時の夢を見るかのように力なくほほえむ。死はおそいかかり、再び恐ろしい戦いがはじまる。しかしこの戦いの勝利は決せられず、静寂が来る。病人は彼の生涯のことを順を追って思い起こす。無邪気な幼年の日々。力の鍛練に終始する少年時代。自己の理想を実現するための闘争。心から憧れたすべてのものを彼は死の床にもまた求め続ける。ついに死の一撃が響き、肉身を引きさく。しかし天界から、彼の憧れ求めた世界の浄化(変容)が響く。
Ⅱ 曲の構成について
曲は5つの部分からなると考えることができる。第1部は、ソナタ形式では序奏にあたるが、譜例1のようなハ短調主和音のリズム動機で始まる。この3連音符と8分音符が休符やタイによるシンコペーションを伴って続く動機は「死の運命の動機」とも考えられ、そのリズムは不整脈を暗示しているとも思われる。その後に「少年時代を回想する動機」がまずオーボエで奏でられる(譜例2)。しかし、その平和な雰囲気は「死との闘争を示す動機」(譜例3)によって打ち破られて、悲劇的な「生への執着の動機」(譜例4)から第2部(主部)に入る。第2部は劇的な展開を示すがその最後の方で、浄化(変容)の動機(譜例5)が金管楽器とヴィオラ・チェロによって際立って現れて、曲はその後すぐに第3部に移行する。第3部はソナタ形式では緩徐楽章に相当するが、優雅な「少年時代を回想する動機」(譜例6)が、まずフルートで現れる。しかし穏やかな雰囲気は、青年期の高揚を示すようなホルン、木管楽器による動機から曲は熱狂的な第4部に入って主題が多彩に展開される。そこに「死の運命の動機」(譜例1)が何度も衝撃的に現れる。後半では「浄化(変容)の動機」で明らかなクライマックスを形成する。その後ティンパニの弱奏による「死の運命の動機」に続いて、第5部に入る。第5部は、ソナタ形式では再現部に相当し、第2部と同様に譜例4による「生への執着の動機」が現れるが、今回は長く続かず、死を象徴するタムタムの反復する響きとともに、死後の世界に入っていく。この死後の世界は、ソナタ形式ではコーダに相当する部分で、ここでは「浄化の動機」が中心となり、もはやテンポが速まることはなく、人間の魂の永遠性への信念が確信をもって演奏されて、最後はハ長調の静逸な主和音で静かに終る。
おわりに
「死と変容」は、「苦悩からその昇華(浄化)へ」という方向性が明確なこともあり、R.シュトラウスの管弦楽曲の中でも人気の高い作品の一つです。2023年の定期演奏会は、黒岩英臣先生に指揮をしていただいた1993年の定演以来、30年ぶりの全曲とも客演指揮者による定演であり、湯浅篤史先生に指揮をお願いしました。このような状況もあり、この「指揮者の部屋」も、私以外の方にも執筆をお願いしたいと希望しています。どうかお楽しみ下さい。(文責:大谷 正人)
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