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マーラーの交響曲第4番について

2014年03月31日 06:45
 

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はじめに

マーラーの交響曲第4番は、マーラーの偉大さが幅広く認められるようになる前のLPの時代から演奏されたり録音されたりする機会も比較的多く、マーラーの11曲の交響曲の中でも時の流れを越えて人気の高い曲の1つです。マーラーの友人でもあり弟子でもあり、現在のマーラー人気を引き起こすにあたって最大の貢献をした指揮者であるブルーノ・ワルターも、この交響曲第4番を最も数多く録音しました。しかし初演時の評判は悪く、それはメルヘンのような曲でありながら、最後はppで消えるように終わり、また天使と死が同時に現れるようなその複雑さのためかもしれません。同時にこの曲には、第1楽章の第2主題的な旋律(譜例3)が幅広く歌うところや、第2楽章の第2トリオ、第4楽章の終わりの方など、宝石のように光り輝く瞬間が少なくありません。特に第3楽章の美しさは絶品です。また第4楽章の主題が第1・2・3楽章と密接に関連しており、その堅固な構成を通して、マーラー特有の生と死の世界が個性的に表現されているという特徴もあります。以下に、この曲の背景を説明し、若干の楽曲分析を試みたいと思います。

 

Ⅰ 成立の背景

 マーラー(1860-1911)は交響曲第4番に先立つ交響曲第3番を、1895年から1896年にかけて作曲した。交響曲第3番は6楽章からなっており、演奏時間が約100分かかるなど、マーラーのすべての作品の中で最も長い交響曲となったが、その作曲を終えて交響曲第4番の作曲に向かうまでに、約3年の年月がかかっている。もちろんマーラーが1897年にウィーンの宮廷歌劇場指揮者に就任したことによる多忙さも大きな一因であるが、交響曲第2番や第3番のような大曲を次々に作曲した後、音楽でどのような世界・宇宙を表現するかについて、マーラーの中で様々な考えがめぐっていたのであろう。マーラーは1898年の夏は、「少年の魔法の角笛」に属する2曲の歌曲を作曲し、1899年と1900年に交響曲第4番を作曲した。

 交響曲第4番は、内容的に交響曲第3番との関連が深い。交響曲第3番は最初は7つの楽章からなる交響曲としてずっと構想されていた。第6楽章までは現在の第3番にほぼ残されているが、第7楽章は、「子供がわたしに語ること」あるいは「天上の生」として構想され、1896年になって削除された。この第7楽章は、交響曲第4番の第4楽章にその構想が引き継がれることになった。実際に交響曲第3番の長大で陶酔的ですらある第6楽章の後に第4番の第4楽章が続くことは、あり得ないことと思われる。

 パウル・ベッカーの報告によると交響曲第4番は、以下のような内容で当初構想された。

交響曲第4番<フモレスケ>

第1楽章 永遠の今としての世界、ト長調

第2楽章 この世の生、変ホ短調

第3楽章 カリタス、ロ長調(アダージョ)

第4楽章 朝の鐘

第5楽章 重みから開放された世界、ニ長調(スケルツォ)

第6楽章 天上の暮らし、ト長調

 標題の「フモレスケ」とは空想的でユーモアをもって、という意味でユモレスクと同義である。以上の6楽章の構想の中で現在の交響曲第4番に実現されているのは、第1楽章と第6楽章であるが、第6楽章については、1892年に作曲された民謡詩集「少年の魔法の角笛」による1曲「天上の暮らし」が転用されることになった(現在CDなどで聴くことができる「少年の魔法の角笛」全12曲の中に「天上の暮らし」は含まれていない)。第4交響曲の第4楽章として当初構想された「朝の鐘」は第3交響曲の第5楽章になっている。これまで述べたことからわかるように、交響曲第4番の構想は、1895年頃から始まっており、交響曲第3番の延長上にあると考えられる。

 マーラーは亡くなる1911年に至るまで交響曲第4番を好んで演奏し続けた。マーラーは、「三つの楽章はそれぞれが最後の楽章と極めて密接かつ重要な方法で主題的に結びついているのです」と手紙に書き、また作曲当時の友人バウアー=レヒナーには「一見したところでは目立たない、この短い歌曲の中にあらゆるものが隠されていることに誰も気づきはしないだろう。しかし、吟味することにより、その中に多種多様の生命の兆候を含んでいる胚芽の価値については理解できるようになるのだ」と語っていた。「永遠の今としての世界」から、死後の生としての「天上の暮らし」への流れの中で、この交響曲について理解することは妥当と思われる。マーラーは交響曲第4番を作曲した後、標題性のある音楽に完全に決別する。

 

Ⅱ 全体の構成と各楽章の解説

 マーラーの全交響曲の中で最も規模は小さく、編成もトロンボーン、チューバを欠いているのは第4番だけである。とは言っても、マーラー自身、「大オーケストラとソプラノ・ソロのための4楽章からなる交響曲第4番」と総譜(スコア)の表紙に記しており、レヒナーに「僕はただ交響的小品を書きたかったのだけれど、書いているうちに普通の規模の交響曲となってしまった」と語っていた。マーラーの中では普通の規模と言っても、演奏に60分かかる大曲である。なお以下にあげた譜例については、長木誠司著による「グスタフ・マーラー全作品解説事典」(立風書房)からの引用で、譜例20のみ門馬直美による「名曲解説全集2 交響曲Ⅱ」(音楽之友社)の解説からの引用である。

第1楽章「永遠の今としての世界」

 明らかなソナタ形式によっている。冒頭の鈴やフルートによる動機(譜例1)に導かれて、マーラーが「無邪気な、単純な、そしてまったく無意識的なもの」と呼んだ第1主題(譜例2)がヴァイオリンによって演奏される。この魅惑的なオープニングは、鈴の使用もあり、クリスマスのような雰囲気すら与える。マーラーは1897年にユダヤ教からカトリックに改宗したことも影響しているのであろうか。主題の提示部ではマーラーによると7つの主題が、比較的古典的な型通りに提示される。これらの中で印象的なのは第1主題と性格が対照的で情熱的に幅広く歌う主題(譜例3)で、ソナタ形式における第2主題的な役割を果たしている。展開部に入るとまず目立つのは、4本のフルートによるパストラール風の主題(譜例4)である。これは「天国の主題」と呼んでもよいような性格のもので、第4楽章の第1主題(譜例15)との関係性が深い。展開部はマーラー特有の多彩な転調や主題の展開がなされるが、再現部に入る直前に、トランペットによってfffで第4楽章の第1主題と関連した旋律(譜例5)が明瞭な形で現れる。その後突然不協和音によるクライマックスが現われ、マーラーが「召集の声」と呼んだトランペットによる葬送のような雰囲気の部分(譜例6)が現れるが、まもなく消え去り、突然第1主題の後半と天国の主題による再現部となる。再現部も一部展開されるが、明るくにぎやかに終わる。

第2楽章

 マーラーは生前にこの曲を指揮した時に、スケルツォ様のこの第2楽章について「死の舞踏」と演奏会プログラムに印刷したことがあった。マーラーは死神の奏でるフィドル(昔の擦弦楽器)の音を模倣するために、独奏ヴァイオリンにすべての弦を長2度あげるよう指示し、その硬い音色を利用して死の舞踏の雰囲気を醸し出している。曲の構成としては、悪魔的な表現の主部に、牧歌的あるいは天国的な中間部(トリオ)が2回、はさまれた形となっている。主部はホルンによる3拍目にアクセントを伴う短2度が特徴的な動機(譜例7、繰り返し約30回出現)と増5度、減4度の不協和音(譜例8)に導かれて、独奏ヴァイオリンによるグロテスクな主題(譜例9)が現れるが、この主題は第2楽章を通して16回も奏でられる。中間部では対照的にやや感傷的に歌う魅惑的な旋律(例えば譜例10など)が多いが、特に2回目の中間部ではニ長調に突然転調したところで、第4楽章の主題(譜例20)が象徴的に部分的に引用されている。

第3楽章(ポコ・アダージョ)

 マーラーはこの楽章について「これまでに書いた中で最初の純然とした変奏曲、つまり変奏はこうあるべきだと自分が思い描いているように徹底徹尾姿を変えた最初の作品だ」と述べ、マーラー自身この楽章の出来に満足していた。静かな息づかいの中に感動にあふれた主題(譜例11)と悲痛な別の主題(譜例13)がそれぞれ変奏されて、A-B-A-B-A-コーダという構成になっている。最初の主題はマーラー特有の息の長い、忘れがたい印象を残す旋律であるが、基本的にチェロ・バスによって一定のパターンで伴奏されて(譜例12)、パッサカリアのような形式にもなっている。この幸福感に満たされた楽章の最後にマーラーは非常に驚くべきコーダを付け加えた。曲が祈るように静寂のうちに終わろうとする時に、突然fffでホ長調の主和音が鳴り響き、トランペットとホルンが第4楽章の天上の音楽の主題(譜例15と関連)を力強く鳴り響かせる。マーラーはこの劇的な変換によって、現世から天上に音楽の場がかわったことを表しているのではないだろうか。その後は、“永遠の動機”と呼ばれている動機(譜例14)によって、ひたすら天に昇っていく。

第4楽章「天上の暮らし」

 第1楽章や第3楽章でも部分的に現れた第1主題(譜例15)の主題提示が終わったあとソプラノによって歌われる歌詞は、大きく4連からなっている。「わたしたちは天上の喜びを味わう。だから地上のことは避けるのだ。俗世間の騒ぎは天上では聞こえない。すべては最高の柔和な安らぎの中で生活している」という歌詞で始まる第一連(譜例16)は、穏やかで牧歌的な雰囲気で、天上の生活の喜びを歌う。これに対して、「ヨハネは子羊を放ち、屠殺者ヘロデは待ち受ける。私たちは寛容で純潔な愛らしい子羊を死に導く。」と歌われる第二連(譜例18、19)は、冷酷でもある。曲想が突然に穏やかになる第三連では、「様々な上等の野菜が天上の庭に生えている。良質のアスパラガス、隠元豆、その他みな思うままにある」と次第にテンポをあげながら歌われる。第四連では穏やかで幸福感にあふれた前奏(譜例20)に続いて「私たちの音楽に比べられるものは、地上にはないのだ」と繰り返され、音楽は最も落ち着いて静かに終わる。これらの4連の歌の間には、短いコラール風の楽節(譜例17など)に続いて、3回管弦楽の間奏があり、第1楽章冒頭の主題(譜例1)が騒がしく演奏されて、天上の世界と現世の世界が対比される。曲の最後は静穏の中に終わる。ホ長調の主和音で曲は終わるが、最後5小節では第3音を欠いた主音と属音(第5音)のみとなり、しかもハープとコントラバスの最低音で終わるため、天上の世界からさらに無や天空の世界に向かうような印象すら与えて曲は終わる。

 

おわりに

 マーラーの作品は通常3期に分けられますが、交響曲第4番は初期の交響曲群の最後を飾る珠玉の名曲です。マーラーは最晩年までこの曲の修正に力を尽くしてきました。曲のイメージとしては、現世から天上の世界に向かい、その後天空や無の世界に向かっているように思われます。最初の3つの交響曲の最後を輝かしい歓喜で曲を終わらせたマーラーがこの第4番では、初めてpppで消えるように曲を終わらせました。そのような意味では、晩年の最高傑作、交響曲第9番や“大地の歌”の先駆けともなった曲です。交響曲第4番については、メルヘンのようにとらえる解釈、逆に悲劇的なものと考える考え方など、様々な見解があります。そのどちらも一面的な見方であり、曲の中核にあるのは、マーラーの“死後の生”や永遠への視線ではないでしょうか。この曲を演奏する5月18日はマーラーの命日です。マーラーの天上の世界への想いに、演奏において少しでも近づきたいと願っています。

 

伊勢管弦楽団 音楽監督  大谷 正人

 

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