三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。


マーラー「交響曲第10番(ガムゾウ版)」、武満徹「波の盆」

2026年04月05日 18:27

はじめに

 伊勢管弦楽団が、初めてマーラーの交響曲の演奏に挑戦したのは、1988年の第7回定演 においてでした。メインの曲目が第10番の第1楽章で、演奏は難しく、当時の伊勢管弦楽団ですから奏者も少なく、演奏も未熟なものでした。その後伊勢管でマーラーの交響曲を取 りあげた順としては、「大地の歌」→第2番→第5番→「大地の歌」→第8番→第1番→第 9番→第4番→第2番→第6番→第3番→「大地の歌」と演奏を積み重ねてきたわけですが、 2006年の第25回定期演奏会での第8番あたりから、ようやく伊勢管はマーラーの世界を表現できる力をもってきたと思っています。

 第10番の全曲版については、クック版でのCDや実演には接してきましたが、感想は複 雑なものでした。私の指揮の師匠で、マーラー8番の日本初演も指揮された山田一雄先生も、 第10番全曲版について、懐疑的な発言をレッスンの時に伺いました。自分自身の中で不勉 強でマーラーの第10番に取り組む確信と覚悟がなかったのかもしれません。ただガムゾ ウ版を聴いて、演奏における不安は少し減ってきました。このたび、ガムゾウ版で日本初演 となるマーラーの第10番を演奏できるのは、この上もない幸せですが、超難曲なので、皆 様の力を結集して、心に残る演奏ができるよう微力を尽くしたいと考えています。

 また、プログラム前半の武満徹の「波の盆」は、第二次世界大戦という厳しい時代におけ る日本人家族の姿を1980年代前半と交錯させながら描いたドラマの音楽ですが、非常に美 しい作品であり、この原稿の後半でご紹介しました。


マーラーの交響曲第10番

Ⅰ.交響曲第10番の成立史

 マーラーは、ウィーンの宮廷歌劇場を1907年に辞任してから夏の休暇を長くとることが できるようになり、ウィーンで指揮していた時は、ほぼ2年に1曲の交響曲を作曲していた のに対して、1908年には「大地の歌」、1909年には第9番というペースで交響曲を作曲し ていた。第10番に取り組んだのは、1910年にニューヨークからもどった5月頃と推測さ れている。しかし、1910年はマーラーの人生にとって非常に重大な二つの出来事のために、 第10番の完成は遅れてしまった。第10番は全5楽章をパルティチェル(弦楽四重奏曲の ような数段の楽譜)の形では最後まで完成しているものの、オーケストレーションについて は第1楽章のほとんど、第3楽章は一部、第4・5楽章はほとんど取り組めないまま、1911 年の2月には発病して1911年の5月18日に死去した。

 作曲の進行を遅らせた二つの出来事の1つ目は、第8番の初演に向けての準備だった。マ ーラーは初演時の約850人にも及ぶ合唱団の指導のため6月から何回も作曲小屋のあるト ープラッハからミュンヘンやウィーンに行っている。もう一つのより重大な出来事は、1910 年の8月に、当時心身の不調のためにマーラーとは別のところで療養していたアルマ・マー ラーと建築家グロピウスの不倫の関係が発覚し、これまでのアルマに対するマーラーの接 し方に対してアルマから厳しく責められ、マーラーの中に自責が強くなったことであった。 マーラーの苦悩は深く、8月下旬には当時オランダにいた精神科医のフロイトの診察も受 けた。マーラーは、第10番の第3楽章以降のパルティチェルにアルマとの問題から生じた と推測されている様々な書き込みをしている。マーラー研究者の第1人者であるド・ラ・グ ランジュが書いているように、第1・2楽章のほとんどはアルマの件が生じる前に作曲され て、第3楽章以降はその後に作曲されたと思われる。しかし、マーラーは自分の私的な問題 を交響曲にするような作曲家ではなかった。マーラーの中で「死と再生」というテーマは、 第1番から永遠に続くテーマであった。第10番においては、マーラーの精神的な危機が 「大地の歌」の時とは異なる形で、作品の成立に大きな影響を与えたと考えられる。

 マーラーは常に未来への視点を持ち続けた作曲家であった。音楽史上では第1楽章のク ライマックスにおいて調性のない音楽へ接近している。第2楽章における拍節構造の革新 とも言える変拍子の連続は、第10番の3年後に作曲されたストラヴィンスキーの「春の祭 典」の先駆けともなるものであった。また終楽章はスコアとしては完成度が低いものの、調 性が不明瞭で時空を超越したような序奏など、未来への視点もあわせ持ちながら、マーラー が50年余りの人生で、最も大切にしてきた、愛、祈りなどを具現している稀有な終曲であ る。

Ⅱ.全曲版完成への経緯

 マーラーが1911年5月18日に亡くなった後、アルマは第10番の遺稿を10年以上、し まい込んでいた。誰にも見せなかった理由としては、その遺稿の中にアルマが公開したくな かったマーラーの書き込みがあったためと推測されている。しかし、アルマ自身マーラー没 後の10年間に、画家ココシュカとの恋愛と別れ、グロピウスとの結婚と離婚を経験し、マ ーラーの第10番草稿と向かい合い、この曲への思いをかえて作曲家クシェネク(マーラー の次女アンナ・ユスティーネの二度目の結婚相手)に第1・3楽章の演奏譜作成を依頼し、 1924年には自筆譜のファクシミリを出版した。その後、そのファクシミリをもとに1942年 からカーペンターが5楽章版を40年かけて完成させているが、現在、最もよく演奏されて いるのは、1955年から亡くなるまでその仕事に取り組んで、その取り組みが最も高く評価 されているイギリスの音楽学者クックによる全曲版である。クックによる全曲版公表に最 初反対していたアルマもその録音を聴いて考え方を改めて、クックに残っていたスケッチ を引き渡し、クックが死去した後もその仕事を引き継いだ協力者の貢献により1989年には クック版第3稿第2版が出版されている。今回演奏するガムゾウ版は、2010年にイスラエ ル人の指揮者ガムゾウが23歳の若さで完成させた交響曲第10番の全曲版で、全曲の構成のとらえ方や、オーケストレーションの独自性について、これから評価されていくのではないだろうか。

Ⅲ.楽曲分析

第1楽章 アダージョ

 ヴィオラだけによる序奏主題(譜例1)に始まるが、この主題はその後2回変奏されて出現 するだけでなく、後に出現する第2主題(譜例3)にも、その一部が引用されて、また第5楽 章の全体の3分の2経過したところでホルンだけによって再現される重要な主題である。 序奏主題の後すぐに演奏される第1主題(譜例2)では、同じく未完成の遺作となったブルッ クナーの交響曲第9番第3楽章の中心主題と共通点は多いが、反行形で現われたり、何度も 再現される非常に魅力的な主題である。この第1楽章で最も印象的なのは、曲の4分の3経 過したところで出現する破局(catastrophe)を象徴する不協和音である(譜例4)。この不協和 音は、下から順に Gis-H-D-F-A-C-Es-G と3度の音程で音が積み重なり、続くコーダの調 性である嬰へ長調の属音のCisを加えることにより12音中9音が同時に鳴り響く構造と なっている。和音の根音となる Gis は、この部分の調性である変イ短調の主音の異名同音 であり、その後ヴァイオリンなどによって、その完全5度上のEsがffで重ねられることに よって、調性音楽と無調音楽のせめぎあいも示唆している。その後は、マーラー晩年の作品 に特徴的な浄化された世界で、天空に向っていくように終る。

第2楽章 スケルツォ

 第2楽章の主部は、めまぐるしく変化する変拍子でできている。例えば、楽章の冒頭では 譜例5のように3/2拍子、2/2拍子、5/4拍子、2/2拍子、3/4拍子と、めまぐるしく入れかわる。変拍子というと、1913年に作曲されたストラヴィンスキーの「春の祭典」がその先駆的存在であるが、マーラーはその3年前に変拍子を主体とした楽節構造による作品に新たな光をなげかけたものとなっている。中間部のトリオはゆったりした3/4拍子であるが、その主題(譜例6)は第1楽章の第1主題(譜例2)と関連づけられる。第2楽章が作曲されたと推測されている1910年5~7月頃のエネルギーにあふれたマーラーを象徴するような楽章である。

第3楽章 プルガトリオ

 プルガトリオとは、キリスト教では煉獄を意味し、死後すぐ天国に行けない魂が、罪を浄 化させる場所・状態を指す。マーラーが作曲した交響曲の楽章としては、最も短い楽章であ るが、内容的には極めて重要である。マーラーの歌曲集「不思議の角笛」の中の「この世の 生(地上の生活)」と関連も論じられている。歌曲「この世の生」は、飢えた子どもを抱えた 母親がパンがなく麦を刈って打ち、パンを焼いている間に子どもを餓死させてしまうとい う話であるが、1910年8月~9月頃のマーラーの心境を反映させているかもしれない。実 際、第3楽章には「憐みたまえ!神よ!あなたはなぜ私をお見捨てになるのですか?」「御 心のおこなわれんことを!」などの書き込みをしている。最も重要なのは、中間部の主題である(譜例7)。この下降音型の主題は、第5楽章で非常に重要な役目を果たしているだけでなく、「大地の歌」や交響曲第9番の終楽章の主要主題と関連したものとなっており、晩年3つのいわゆる「別れの3部作」の共通主題となっている。曲の最後は、死を象徴するタムタムが鳴り響き、この楽章は終わる。

第4楽章 スケルツォ

 第10番は、曲の構成が非常にシンメトリックであり第3楽章を中心にして、スケルツォ 楽章が前後にあり、そして第1楽章、第5楽章が基本的に遅いテンポの感動的な楽章となっ ている。スケルツォ楽章については、にぎやかで快活な第2楽章に対して、悲劇的で、交響 曲第9番の第3楽章のように彼岸の世界も含んでいる第4楽章は対照的である。ガムゾウ 版では「悪魔が私と踊っている」という副題がついているが、このタイトルは次のようにマ ーラーが続けている。

 狂気よ.私をつかまえろ.この呪われた者を!

 私を打ち砕け

 自分が何であったかを忘れさせろ!

 存在することをやめさせてくれ!

 デモーニッシュなスケルツォとやさしいが悲しげなワルツの混合物のような楽章である が、楽章のちょうど中間のところでは、音楽が静止したような、忘れ難い瞬間もみられる。 楽章の最後は、デモーニッシュな世界から寂寥の世界、静寂な世界、すなわち死へと移行し、 大太鼓の一撃で終る。

第5楽章 フィナーレ

 未完成であっても、マーラーが作曲した中で最も感動的な楽章の一つである。今回の全曲 版を完成させたガムゾウは、このフィナーレについて「フィナーレは交響曲第10番の核心 であり、私がこれまで遭遇したなかで最も緊迫感のある、もっとも衝撃的な音楽表現だ」と 述べている。

 フィナーレの冒頭から異様な葬送の音楽が続くが、マーラーが1909年頃にニューヨーク で宿泊しているホテルの上の階から見たある消防士の葬送の行列に遭遇した時の感動と、 その時の太鼓だった、とアルマ・マーラーは記している。死を象徴している重苦しい序奏の 直後に、フルート・ソロによって奏でられるフィナーレの主要主題(譜例8)は、まさに白眉 であり、再生あるいは受容といったフィナーレの性格を決定的に特徴づけている。その後は テンポをあげて、ソナタ形式における提示部、展開部となるが、小節数でいうと第5楽章の 2/3くらい経過したところ(演奏時間では半分余り経過したところ)で、第1楽章の例の不 協和音(譜例4)が突然鳴り響き、その後、第1楽章冒頭のヴィオラ主題(譜例1)がホルンの 強奏によって再現する。その後は慰め、希望や愛に満ちた世界となる。その後の7度跳躍が 感動的な旋律(譜例9)を経て、最後は第5楽章の主要主題(譜例5)で最後のクライマックス を形成する。最後は、譜例7から派生した主題で、最後の一瞬、盛り上がり永遠の静寂の中で終る。




武満徹:オーケストラのための「波の盆」

 1983 年秋に日本テレビ系列で放映された倉本聡原作のテレビドラマ「波の盆」は、明治 期にハワイ・マウイ島に渡った日系移民1世の物語である。。山波公作と妻ミサはサトウキ ビ畑での過酷な労働を経て理髪店を開き、子どもたちを育てた。彼らの運命は、1941年の 日本軍の真珠湾攻撃によって激変した。山波公作が、ミサを亡くした新盆の日の1日を描い たこの物語では、主人公が歩んできた過去と1980 年代はじめの現在が交錯する。その日、 公作のもとを若い女性・美沙が突然訪れる。彼女は、かつて日本で亡くなったはずの四男・ 作太郎の娘だと名乗る。

武満徹自身が演奏会用に編集した作品は以下のようになっている。

1.「波の盆」

 冒頭は、ハワイの海のきらめきの雰囲気の中で、若き日の妻、ミサの面影が現れる幻想 的な響きで始まる。

2.「美沙のテーマ」

 日本から訪ねてきた孫・美沙の優しさを象徴するような美しい曲である。

3.「色褪せた手紙」

 孫・美沙は、父・作太郎が生前に母・ミサに宛てた古い手紙を遺品から見つけて、それ をマウイ島まで届けに来たのであった。武満徹の作品は、ゆっくりしたテンポの作品が 多いが、「色褪せた手紙」でも長い年月の流れを象徴するようにゆっくり奏でられる。

4.「夜の影」

 真珠湾攻撃による開戦以降、日系移民1世は、子どもたちがアメリカ国籍を持つという 複雑な緊張の中で生きることを強いられる。いつ収容所に連行されてもおかしくない 緊迫した状況が映し出される。突然アメリカ軍の行進曲が挿入されるが、次には、ミサ が広島の原爆で両親と姉を亡くしたと公作に告げる場面での悲痛な音楽が続く。

5.「ミサと公作」

 回想の場面では、マウイ島の浜辺で妻の死期を悟った公作とミサが会話を交わす感動 的な場面の音楽である。

6.「終曲」

 「波の盆」のテーマが再現されて、感動的に曲を終える。


おわりに

 マーラーの交響曲第10番は、未完成の作品でありながら、マーラーの総決算の作品 であり、未来への無限の可能性を秘めた作品です。伊勢管弦楽団の36年をかけたマー ラー・チクルス(?)の 10 曲目で、このような傑作を皆様と体験させていただけること の幸せに心から感謝しております。

 また、武満徹のオーケストラのための「波の盆」が初演されたのは1996年9月14日、 岩城宏之指揮、八ヶ岳高原音楽祭祝祭オーケストラによってですが、1996 年2月 20 日に 武満徹が65歳の若さで亡くなった後でした。2026年は没後30年で、「波の盆」初演の30 年という年でもあります。

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