三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。


ベートーヴェンの交響曲第9番への想い

2014年10月26日 03:34

 ベートーヴェン(1770-1827)の数多い傑作の中で、後期すなわち1818年から1826年という9年間に作曲された作品は、その深さ、自由さ、歌にあふれていること、宗教性すなわち現実を超えた永遠や宇宙への視点などにより、ベートーヴェンの音楽にさらに際立った高みをもたらしています。ベートーヴェンにとって、初期から中期への発展・飛躍をもたらしたのは、聴覚障害の発症、演奏家活動の断念であり、中期から後期に作風がかわるきっかけは、「不滅の恋人」との別れ、結婚の断念でした。至高の約30曲の後期作品の中で、オーケストラ、あるいは合唱で演奏されるのは、交響曲第9番とミサ・ソレムニスだけです。

 

 交響曲第9番では、第1楽章は神秘的な和音で始まりますが、構成的には中期の様式になっており、英雄のドラマともなり、最後は葬送の音楽となります。第2楽章におけるポリフォニー(複数の声部がそれぞれ旋律的に独自に動く音楽)の多用、宇宙的響きは後期の世界であり、中間部のトリオでは「歓喜の主題」の雰囲気が少し現れます。最も美しい第3楽章のカンタービレの世界は変奏曲形式によっています。後期様式そのもので陶酔的にすらなりますが、金管楽器などによるファンファーレによって一時中断します。

 

 これら最初の3楽章に対して第4楽章は、ベートーヴェンのこれまでの様式すべての統合となっています。それはシラーの頌歌「歓喜に寄せて」に若い頃から作曲したいと思っていたこと、青年時代からのベートーヴェンの理想、すなわち人類愛や自由などを希求していること、同時に家庭的な愛がかなえられなかったという挫折を乗り越えようと作曲したことなども関係しています。冒頭の「恐怖のファンファーレ」に続いて、最初の3楽章の主題が否定されて、「歓喜の主題」が現れ次第に高まってゆき、独唱、合唱が加わりますが、第4楽章の最も核心的な箇所は、2/3くらい経過したところでテンポが突然遅くなり、「互いに抱きあえ、もろびとよ! 全世界の接吻を受けよ! きょうだいたちよ、星の天幕の上には、愛する父が必ず住みたもう」と歌われるところです。

 

 伊勢管弦楽団では、この傑作全曲を演奏する機会が本日の演奏会で創立以来7回目となります。日本では特に1960年代から年末に第9を演奏することが習慣としてまずプロのオーケストラで根付いたこと、その後アマチュアの世界では合唱の方々がその活動を献身的に推進されて年末の第九は伝統となってきましたが、伊勢管弦楽団のような社会人のオーケストラにとってこの超傑作を7度も演奏できるのは恵まれたことです。特にアマチュア指揮者である私自身にとって、合唱、独唱、そして管弦楽団の方々と思いを一つにして、ベートーヴェンの崇高な世界を7回も表現できるのは本当に望外な幸せです。しかし同時に回を重ねるほどに、どの合唱団、管弦楽団、指揮者でも演奏がマンネリズムに陥る危険はあり、演奏される瞬間に曲の新鮮な感動が表現されなければならないという、音楽の本質的な課題が突きつけられてもいます。年末にデパートやスーパーマーケットなどで流される歓喜のテーマが、ベートーヴェンの言いたかったことと乖離していることを考えたら、演奏する側の責任は重大です。

 

 交響曲第9番がこれだけ永く愛されて、特別な時に演奏されるのは、この曲のもつ本質が人間のめざす普遍的な価値とも重なっているためとも思います。西洋のクラシック音楽の演奏会では、現代音楽が一般大衆の感覚から離れてしまった結果、18世紀後半から20世紀前半の名曲ばかりが演奏され続けて、聴衆も高齢化していることもあり、クラシック音楽がいずれ危機に瀕するのではないかという説が一部にあります。しかしベートーヴェンの交響曲第9番が演奏され続けることは、単に「年末の第九」という現象を越えて、音楽の永遠性、そしてその感動のかけがえのなさを示唆するものであり、文化・歴史におけるその意義は大きいと思います。時を越えた感動を少しでも表現し、皆様と共有できればこんな幸せなことはありません。(なおこの原稿は、2014年12月14日の松阪市における第九コンサートのプログラムに掲載させていただく予定です。)

 

伊勢管弦楽団  音楽監督 大谷 正人

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