
三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。
ブラームス 交響曲第1番
2025年04月22日 12:39Ⅰ.成立の背景
ブラームス(1833-1897)は、若い頃からピアノ曲、声楽曲、室内楽曲などの分野ですぐれた作品を数多く作曲してきたが、交響曲については、第1番を完成させたのは43歳の時であった。しかし、第1楽章を作曲し始めたのは1855年つまり22歳の時で、第1楽章だけでも完成させるのに7年間の年月を要した。その後も少しずつ作曲を続けて1874年から1876年の夏に集中的に作曲し、1876年9月に全楽章を完成させた。このように長期間を要したのは、ブラームスが、もともと自己批判が強い性格であり、偉大なベートーヴェンの9曲の交響曲を意識していたことなどが言われてきた。また当時のドイツの音楽界では、絶対音楽と標題音楽の論争があり、1854年にドイツの批評家ハンスリックは、出版した「音楽美について」という著書のなかで、「音楽の本来の美しさはなんらかの物や感情を表現するところにあるのではなく、音が鳴り響き動いていくことそのものの中にあるのだ」と論じた。この著書の影響は絶大で、ブラームスは1860年代以降、特に1869年にウィーンに定住するようになってから、絶対音楽の旗手として目されつつあった。ただブラームス自身は、標題音楽の象徴的存在であったヴァーグナーの音楽を評価していた。交響曲作曲家として歴史に名を刻んでいる大作曲家の中で、第1番の完成度の高さではブラームスが傑出しているが、上記のような音楽史上の背景も影響していると考えられる。
Ⅱ.楽曲分析
1.全体の構成
第1・4楽章がソナタ形式によっているが、特徴的なのは両楽章に、説得力にあふれた序奏が置かれていることである。第1楽章の序奏には、曲の前半を統一する役目のある動機(譜例1)が冒頭からあらわれる。第4楽章の序奏は2つに分かれて、アダージョの前半がピュウ・アンダンテの後半のホルン主題(以下、アルペン・ホルン主題とする)(譜例12)を誘導する役目を果たしており、このアルペン・ホルン主題は全曲後半の雰囲気を象徴するものとなっている。中間の第2・3楽章について、第2楽章を緩徐楽章とするのは、これまでの交響曲の伝統をひきついでいるが、第3楽章がベートーヴェンではよくみられた速い3拍子によるスケルツォ楽章ではなく、間奏曲的な楽章となっている。これは、第1楽章が速いテンポによる6/8拍子の楽章つまりスケルツォ的なリズムの楽章が反復するのを避けたため、またブラームスの間奏曲への愛好のためとも考えられる。
調性については、第1楽章から終楽章まで、以下のように推移していく。第1楽章(ハ短調→ハ長調)、第2楽章(ホ長調)、第3楽章(変イ長調→イ長調→変イ長調)、第4楽章(ハ短調→ハ長調)
このように、楽章ごとに長3度ずつ上昇してゆき、最終的にはハ短調→ハ長調という、伝統をふまえながらも多彩な展開を示している。
後で解説するように、この曲では、2つのモットー(motto)が重要な役割を果たす。モットーとは主題というほどの旋律としてまとまった構造は持たないが、主題よりさらに全体構成の礎となるものである。動機の中でも、曲全体の性格を特徴づけるものがモットーとも考えられる。曲の前半では、譜例1のAのモットー、後半では譜例12の冒頭のモットー(譜例4のCも同類のモットー)が全曲の重要なところで形を変えながら現れる。
2.各楽章の分析
第1楽章 ハ短調 8分の6拍子
テンポは遅いが、緊張感にあふれた序奏(譜例1)で始まる。この序奏には重要な動機がつめこまれているが特に重要なのは、冒頭の弦楽器によるAのモットー(C-Cis-Dの半音階の上昇音型)である。このモットーは、主部に入って第1楽章の第1主題(譜例2のB)を誘導するばかりでなく、雰囲気が対照的なあこがれに満ちた変ホ長調の第2主題(譜例3)ともなる。また、この弦楽器による主題の対旋律ともなっている木管による下降音型は第4楽章冒頭(譜例10)でも再現されている。
第1楽章の闘争的な雰囲気をつくる主要な動機(譜例4)は、タ・タ・タ・ターンというリズムなので、ベートーヴェンの第5交響曲の中心動機を意識しているのかもしれない。また、この短3度という音程で下降する音型(C)は第4楽章の序奏では長3度という音程となりリズムをかえて登場するアルペン・ホルン主題(譜例12)のアンチ・テーゼ的な存在としても重要なモットーである。第1楽章は劇的に進行するが、ブラームスはベートーヴェンの第5交響曲などとは異なり、第1楽章の最後はテンポを緩めて、ハ長調の憧憬をこめた第1主題で終る。
第2楽章 ホ長調 4分の3拍子
アンダンテのゆったりしたテンポによる第1主題(譜例5)は、内省的な性格のもので、主題の後半には第1楽章のモットー(A)が、今回は励ますように現れる。第2主題(譜例6)はオーボエによる旋律で簡素だが美しい。曲の中間部ではオーボエによる哀愁をおびた旋律(譜例7)がクラリネットなどに引きつがれるが、冒頭の第1主題が対旋律として旋律を特徴づけている。楽章の後半は、第2主題が煌煌と奏でられる。
第3楽章 変イ長調 4分の2拍子
冒頭の第1主題(譜例8)は5小節単位となっており、後半5小節は前半5小節の反行形のようになっている。牧歌的な雰囲気であるが、冒頭のEs-Des-Cという下降の音型は、第1楽章の譜例4のCのモットー、第4楽章のアルペン・ホルン主題(譜例12)と共通している。中間部は譜例9のようになっており、管楽器と弦楽器が掛け合う形で次第に盛りあがってピークでは、冒頭の下降音型の動機(Cのモットー)があり、その後主部にもどる。曲の最後は中間部の動機をゆっくりと静かに回想するかのように終わる。
第4楽章 ハ短調→ハ長調 4分の4拍子
アダージョのテンポによる重い序奏では、低弦による下降音型(Cのモットー)の基本動機に導かれてヴァイオリンが譜例10の旋律を弾くが、これはアレグロの部分の第1主題(譜例14)の前ぶれとなるものである。その対旋律として木管によって奏でられる下降音型は前述したように第1楽章冒頭と同じパターンになっている。その後、テンポを徐々に速めて譜例11のようにCのモットーがリズムをかえて音高もあげながら反復されて、ティンパニのとどろきによりハ長調のアンダンテに入る。ホルン、次いでフルートによって演奏されるアルペン・ホルン主題(譜例12)は、Cのモットーのリズムをかえたものである。曲が完成する8年前の1868年に、親友以上の深い関係であったクララ・シューマン(注)にその誕生日のお祝いとして「山の上高く、谷深く、幸あれ、あなたに千回もの挨拶を送る」" Hoch auf'm Berg, tief im Tal, grüss ich dich viel tausendmal "との歌詞をつけて書き贈った旋律である。なお、譜例12のモットーは第4楽章の2/3くらい経過した最大のクライマックスでも圧倒的な形で出現する。このアンダンテの部分はトロンボーンによるコラール風の旋律(譜例13)を挿入しながら次の主部のアレグロ・ノン・トロッポに移行する。
主部に入ってすぐに演奏される第1主題(譜例14)は初演時からベートーヴェンの第9交響曲の歓喜の主題に似ていると言われてきたが、ブラームスは意図的にそのように作曲したと思われる。第4楽章の第2主題(譜例15)は優しく歌われるが、下降の主要動機の反復を伴っているのが特徴的である。またブラームスは主要主題のE-D-C-G(モットー)のCをFisにかえて、第2主題としたのかもしれない。最後は、第1主題が低弦によってオスティナートのように反復されながらテンポをあげてピウ・アレグロによるコーダに突入するが、金管楽器によるコラール(譜例13)が最後に感動的に現われて全曲が歓喜の中に終わる。
(注)ブラームスとクララ・シューマンとの特別な関係は、ロマン派の音楽史上も特別な意味を持っていた。ブラームスは20歳であった1853年にシューマン家を訪問し、その時のブラームスが弾くピアノ作品を聴いて、ブラームスの作曲の才能に感動したシューマンは、自ら創刊した音楽雑誌でブラームスを絶賛した。シューマンは翌年、精神疾患のためライン河に投身自殺を試み、その後精神科病院で1856年に亡くなるまで入院することになってしまったが、絶望的な状況にあったクララ・シューマン(当時に7人目の子どもを妊娠中であった)と6人の子どもたちを応援するために、ブラームスはシューマン家に2年間滞在することになった。その間は、シューマン一家を助けただけでなく、シューマンの担当医の指示で面会を止められていたクララに代わって、入院中のシューマンの面会にも行く役割も担った。そしてシューマンが1856年に亡くなってからブラームスはシューマン家からは離れたが、二人の特別な関係は生涯続いた。
Ⅲ おわりに
交響曲というジャンルは、ベートーヴェンの9曲の交響曲によって一度頂点に達したと考えられていました。メンデルスゾーン、シューマンの交響曲などによる過渡期を経て、ブラームスの交響曲第1番は、ブラームス以降のブルックナー、マーラーの交響曲、またチャイコフスキーの後期の交響曲やドヴォルザークの交響曲など、交響曲の全盛期の先駆けともなった傑作です。モットーや動機を多様に展開させる作曲技法は、その後の音楽の発展の前触れともなるものです。この作曲技法をブラームスは、交響曲第2,3,4番でさらに高めていきました。そのような中で、アルペン・ホルン主題の象徴的表現にみられるように、ブラームスのクララ・シューマンへの個人的な想いが秘められているのも、この曲の魅力を増しているのではないでしょうか。
武満徹は、ブラームスの作品では、一つの旋律の中に同時に音楽の全体像が封じ込められていると言えるような構造性があると述べています。またブラームスでは、一つの旋律の中に死と生が見事に構造化されている。生の後ろにいつも死があるのが見える。生と死の二つが弁証法的にからんでいって、最後の方になってくると、生死を超越した宗教的といってもいいような非常に高いところに抜け出している、とも述べています。ベートーヴェンの交響曲第9番のほぼ半世紀後に完成したブラームスの交響曲第1番は、独創性、完成度の高さにおいて傑作であるばかりでなく、音楽史上も極めて重要な作品なのです。
【譜例】
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