三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。


フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」

2021年11月03日 10:23

はじめに


 2021年も、2020年から1年半以上続くコロナ禍で困難の多い年になりましたが、伊勢市民オペラプロジェクト「ヘンゼルとグレーテル」の公演が迫ってきました。緊急事態宣言が再度出されないことを祈りつつ、この傑作オペラの解説をさせていただきたいと思います。「ヘンゼルとグレーテル」は、モーツァルトやヴァーグナーのような天才作曲家によって作曲されたオペラではありません。フンパーディンクの曲のなかで、「ヘンゼルとグレーテル」以外は、ほとんど無名と言っても過言ではないでしょう。でもこのオペラは、初演されてから138年間、世界中で愛されて、演奏され続けています。

伊勢管弦楽団としても、伊勢市観光文化会館のオーケストラ・ピットに入ってオペラの演奏に携わるのは4度目で、今回が一番大きい編成のオペラになります。通常なら1m近く深くに位置して演奏するわけですが、今回は、その編成の大きさのために、客席と同じ高さでの演奏になります。そのため、音量のコントロールなど、いつも以上に配慮が必要となります。様々な困難はかかえていますが、公演の実現を願いながら、今回の解説をさせていただきます。


Ⅰ フンパーディンクと「ヘンゼルとグレーテル」作曲の経緯


 フンパーディンク(1854-1921)は、ドイツのケルン近郊の街で1854年9月1日に生まれた。マーラーよりも6歳年上であった。ケルンやミュンヘンの音楽院で学んだあと、1879年にメンデルスゾーン奨学財団の援助によってイタリアに旅行した時に、ナポリで保養生活を続けていたヴァーグナーを訪問し、親交を得て、1880~1881年には「パルシファル」の初演も手伝った。1880年代からケルン、フランクフルトなどの音楽院の教授をしていたが、1890年に妹のアーデルハイト・ヴェッテから、自分の子供たちのためにヴェッテが脚色した「ヘンゼルとグレーテル」に歌を4曲作曲するよう頼まれて、作曲したのが歌劇「ヘンゼルとグレーテル」の始まりであった。フンパーディンクは、この童話に共感し、妹とともにジングシュピールそして歌劇への構想をふくらませていった。妹の方では、お菓子の子供達、眠りの精、露の精といった人物を新たにつくり、父親の職業を木こりからほうき作りに変えて魔女との関連をつくり、母親を無情な性格から苦労にうちひしがれた性格と変えて、14人の天使たちで象徴される宗教的な雰囲気もあわせもつものに変更していった。このように、歌劇「ヘンゼルとグレーテル」はグリム兄弟によるおとぎ話をオペラ化したものであるが、ドイツ民謡風のわかりやすい旋律とヴァーグナー風のライトモティーフの使用を見事に両立させ、グリム兄弟による原作よりも、暖かく優しいものとなっている。

1893年12月23日にワイマールの宮廷劇場で初演された時、指揮をしたのはリヒャルト・シュトラウスであったが、シュトラウスはフンパーディンクに次のような手紙を送った。

「......まことに、これは第一級の内容をもつ傑作であって、この幸福な完成のために、私はあなたに対して、私の心からなる祝賀と、十全なる賛嘆をささげます......。心を生き生きさせるユーモア、すばらしくナイーヴなメロディの構成、オーケストラの扱い方における技術と洗練性の見事さ......、輝かんばかりの創造物であり、すばらしいポリフォニーです。―すべては独創的にして新鮮、そしてまさしくドイツ的なものです。」

 ヴァーグナーによる楽劇以降のドイツ・オーストリア音楽界において、ベルクの十二音技法による「ヴォツェック」など以外で、成功し今日まで多くの人々に愛され続けているオペラは、フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」とR.シュトラウスのいくつかのオペラに限定されている。このような歴史を鑑みても、R.シュトラウスの指摘は非常に的確であり、初演以降のこのオペラの不朽の価値と成功を予言したものになった。現在でも、多くの歌劇場、特にドイツ・オーストリアの歌劇場では「ヘンゼルとグレーテル」は12月の演目の定番である。これはフンパーディンクが、怖い面ももつグリム童話の原作に、14人の天使たちに象徴されるようなキリスト教的なイメージをつけ加えたことが大きく、クリスマス休暇を間近に迎えた子どもたちにとっても、このオペラの観劇がこの上ない楽しみとなっている。


Ⅱ 「ヘンゼルとグレーテル」のあらすじ


前奏曲

 前奏曲は、4つの部分に分けて構成を考えることができるが、冒頭の第1部は、ホルンによる「祈りの主題」(譜例1)、第2部はトランペットによる「魔法を解く動機」(譜例2)によって始まる(なお、動機の呼び方と譜例の多くは、増井敬二による)。第2部の後半では、魔女の魔法から解放された「喜びの歌」(譜例3)が木管楽器、ホルンによって奏でられる。第3部では、「祈りの主題」が様々に展開されて、第4部ではクライマックスで「喜びの歌」がテンポを少し落として現れ、最後は「祈りの主題」で静かに終わる。歌劇中の明るい動機ばかりから構成されており、人気の高い前奏曲である。


第1幕 ほうき作りペーターの家

第1場

 両親は留守で、ヘンゼルとグレーテルは空腹を我慢してほうき作りと靴下つくろいをしている。最初に歌われる「ガサゴソいうの、あれ何のおと」は、ドイツ民謡を主題にしたものである。ヘンゼルが空腹の不平を訴えるので、グレーテルはポルカ風の「出て行け、すぐ行け」を歌ってなだめて、隣りのおばさんからもらったミルクがあることを教える。空腹を忘れようと二人は「踊りましょうよ、お手々つないで」を歌う。

第2場

 その時、母親は突然もどってくる。生活に疲れ、不機嫌な母親は仕事をなまけて踊っていた子どもたちを強く叱るが、はずみにミルクのつぼを割ってしまう。ヘンゼルが笑ったのを怒った母親は二人に、すぐに森に行き、かご一杯のいちごをつんでくるよう命じる。貧乏生活に疲れ果てた母親は、神様のお恵みを祈りながら寝てしまう。

第3場

 父親のペーターが一杯機嫌で帰ってくる(譜例4)。祭りでほうきが全部売れたと話し、多くの食べ物をみせると、母親も機嫌をもどす。父親は子どもたちが怠けていたのを叱るはずみにつぼをこわしたという話に大笑いをしたが、罰として子どもたちを森に行かせたと聞いて驚く。森にはお菓子の家で子どもをおびき寄せて子どもを焼いてお菓子にする魔女がいると説明すると、二人で森に走り出す。魔女について父親が説明する前に、ティンパニやコントラバスによって奏でられる「魔女の騎行」の動機は、4度音程が特徴的で、4度音程はこの後全曲を支配することになる(譜例5)。


第2幕 森の中

前奏曲「魔女の騎行」

 第1幕の最後から切れ目なく続く前奏曲は「魔女の騎行」(譜例5)、「魔女の喜びの歌」(譜例6)、「森の主題」(譜例7)の3つの動機が中心的な役割を果たし、ヘンゼルとグレーテルがいる森の中には魔女がいて、危険が多いことを暗示する。

第1場

 グレーテルは「森に小人が立っている」を歌いながら野ばらの冠を編んでいる。森の中からはカッコーのなき声もきこえて、二人はカッコーが卵を盗んで食べさせるまねをして、つんだイチゴを食べてしまうが、日が暮れて帰る道もわからなくなってしまう。途方に暮れた二人に、得体の知れないものがみえて二人は恐怖におそわれるが、現れたのは小さな砂袋を持った眠りの精であった。

第2場

 眠りの精は「眠りの精だよ」と歌い、子どもたちは眠くなって美しい「祈りの二重唱」(譜例1による)を歌い寝てしまう。この「祈りの二重唱」と続くパントマイムは、オペラの中でも、とりわけ美しい。

第3場 天使たちのパントマイム

 14人のバレリーナによるパントマイム(無言劇)である。14人の天使たちが、祈りの言葉のように、二人のまわりをまわりながら踊り、その安らかな眠りを守る。主要な主題は、眠りの精のアリアの後半部分の旋律(譜例8)と祈りの主題(譜例1)であり、全曲の半ばに演奏される魅力にあふれた部分で、このオペラのもつキリスト教的メルヘンの世界を象徴している。


第3幕 魔女の家

 前奏曲はホルンとオーボエの対話による「お菓子の家」の動機(譜例9)で始まり、「朝の主題」(譜例10)にかわりテンポをあげて幕が開く。

第1場

 翌朝となって、露の精が来て、つり鐘草の花から露のしずくを二人の目に振りかける。「私は露の精」の前半部は眠りの精の歌のテンポを速くして、元気にした感じであるが、後半は「朝の主題」(譜例10)が中心である。露の精が消えると、まずグレーテルが目覚めて歌い始めるが、2重唱が多いこのオペラの中で、第3幕第3場における魔女のアリアと並んで、魅力的な華やかなアリアとなっている。グレーテルのひばりをまねる声で起こされて、ヘンゼルは鶏のまねをして元気に起きる。二人は同じ天使の夢を昨夜見たことを話し合う。

第2場

 もやが晴れると、二人はお菓子でできた家を見つける。感激しながらも恐る恐る家に近づき、そっと家の隅のかけらを食べてみる。

第3場

 すると中から「ポリポリ家をかじるのは誰だ」という声がする。「風、空耳よ」といって気にせずに食べ続けると、魔女が出てきて、ヘンゼルに縄をかける。ヘンゼルは縄をはずし、2人で逃げようとすると、魔女が「ホークス.ポークス.魔法だぞ」と呪文(譜例11)を唱えると、2人は足がすくみ動けなくなる。呪文は、序曲にも何度も現われる「魔法を解く動機」(譜例2)の逆行形で、上昇する4度音程が特徴的である。

 魔法に満足した魔女はグレーテルの魔法を解いて食事の準備をさせる(「魔女の満足」の動機:譜例12)。得意になった魔女は、「さあ、ハイドウドウ ほうきにまたがり」と歌い飛びまわる。子どもたちを魅了してしまうこの歌は「魔女の満足」の動機(譜例12)のヴァリエーションに導かれて「魔女の喜びの歌」の動機(譜例6)が中心的役割を担う。

 魔女は、ヘンゼルがどれだけ太ったかみるためにヘンゼルの手を見るが、ヘンゼルが差し出した細い木の枝を指と思ってしまいがっかりする。グレーテルはすきを見て、魔女の杖でヘンゼルの魔法を解いてしまう。魔女はグレーテルにかまどの火の具合を教えようとするが、グレーテルは「どうしてよいか判らないので教えて」と答えて、代わりにかまどを開けてのぞいた魔女を、魔法のとけたヘンゼルと一緒に押しこめて扉を閉めてしまう。

 そして「万歳、死んだぞ魔女は」と「お菓子のワルツ」(譜例13)を歌うが、このワルツには、魔女に関連するいろいろな動機が入りこんでいて、単純なハッピーエンドではないことを暗示している。まず出現するのは「魔女の満足」の動機の反行形(譜例12)そして「魔女の喜びの歌」の動機(譜例6)などである。ヘンゼルとグレーテルが歌い終った後、魔女の入ったかまどが突然爆発する。

第4場

 その後、お菓子に変えられていた子どもたちの魔法が半分だけ解けて、「やーと、解けた、助かったわ」と最弱音で歌い始める。ヘンゼルが呪文(「魔法を解く動機」:譜例2)を唱えると、自由になった子どもたちは「喜びの歌」(譜例3)そしてヘンゼルとグレーテルも加わり「朝の主題」(譜例10)を歌う。そこに、ヘンゼルとグレーテルを捜すお父さんの声(譜例4)。ヘンゼルとグレーテルは無事にお父さん、お母さんに会えて、全員で「苦しい時に神様が助けて下さる」(譜例1)と神への感謝を歌い、全曲が歓喜の中で終る。


おわりに


 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」は、子どもから大人まで、あらゆる人々が宗教の違いをこえて楽しむことができる傑作オペラです。2020年、2021年は新型コロナ・ウィルスの感染流行のため、あらゆる人々が忍耐を強いられ、ストレスの多い日々が続いています。そのような社会情勢の中で、今回の「ヘンゼルとグレーテル」の公演が実現可能となった時、この公演を聴いて下さる人々、そして公演に携わる人々の中で一つの希望となることを願っています。


伊勢管弦楽団  音楽監督 大谷 正人



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