三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。


バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番

2018年04月08日 00:01

こちらから譜例をダウンロードしてお読みください。

はじめに

バルトークについて、個人的には20歳の頃から、20世紀前半を代表する最も偉大な作曲家の一人であると感じてきました。私にこの認識を一番強く与えてくれたのは、1936年に作曲された「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」でした。緻密な構成力、異常な程の緊張感、感情のコントロールする力の高さ、リズムの独自性などは、バルトークのみならず、他のどの作曲家の曲にもみられないすごさです。

今回、ヴァイオリン協奏曲第2番を演奏できる幸運に恵まれました。このヴァイオリン協奏曲は、前述の「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」と同時期のバルトーク最盛期の傑作です。バルトークの生涯についても少し触れながら、楽曲分析を中心として述べさせていただきたいと思います。


Ⅰ.バルトークの生涯について

バルトークは、1881年、ハンガリーのナジセントミクローシュ(現在はルーマニア)で生まれた。父親は学校長であったが、バルトークが7歳の時に32歳の若さで急死し、母親がピアノ教師として生計を支えた。バルトークは幼少時よりピアノの才能を示し、17歳の時、ウイーン音楽院への入学を許可されたが、ハンガリーの作曲家として生きるべく翌年ブタペスト音楽院(後のリスト音楽院)に入学した。23歳の頃からハンガリー各地の民謡に触れ、その採集に生涯のかなりの部分を捧げることになった。当時音楽院でコダーイとも友人になり、民謡採集の計画についても意気投合した。24歳の時は、民謡採集の経費獲得とピアニストとしての活動を求めてパリのルビンシュタイン音楽コンクールに出場したが、ピアノ部門で2位であった(1位はバックハウス)。

1907年、26歳でブタペスト音楽院ピアノ科教授となった。この職を得たことによりバルトークの民謡採集やその研究は、第二次世界大戦勃発によりアメリカに移住するまで、ハンガリーで続けることができた。ナチス・ドイツを嫌っていたバルトークは、政治的に硬化したハンガリーを去り、1940年にアメリカに移住した。しかし移住した後、バルトークの体調は徐々に悪化した。原因は、白血病であった。治療費もままならないバルトークのために、クーセヴィッキーやメニューインらは作曲を依頼し、「管弦楽のための協奏曲」などの傑作が作曲されたが、1945年9月26日ニューヨークで死去した。

バルトークの主要作品としては、以下の曲が挙げられるだろう。




Ⅱ.ヴァイオリン協奏曲第2番

バルトークの作風としては、若い頃はブラームス、リヒャルト・シュトラウス、次にドビュッシーの影響を受けた。その後、ハンガリーの民謡を自身の作曲の拠り所とした。しかし同時に、ピアニストとして活躍したこともあり、同時代の音楽から学び続けた。このため、このヴァイオリン協奏曲でも、ドイツ・オーストリア音楽から学んだソナタ形式や変奏曲形式、ハンガリー民謡と関連する5音音階や独自のリズム性、そして12音からなる旋律的音列などが混在する中で、バルトーク独自のリズム性、アクセントにあふれ、最盛期のバルトークを代表する音楽の一つとなっている。


第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ソナタ形式 ロ調

冒頭のハープ及び低弦のピツィカートによって導き出される第1主題(譜例1)は、ロ音(H)を根音とした調性が明確で力強い。次に出る譜例2の動機は、最初は5音音階風に始まる。第2主題(譜例3)は、穏やかな性格で旋律的であるが、3小節ごとに12の音が重複なしにすべて提示されるというふうに12音音列のようになっている。展開部の最初に出る独奏ヴァイオリンによる譜例4の旋律は、冒頭(譜例1)の低弦の動機と同じであるが、カンタービレの要素が強く雰囲気は異なっている。展開部の途中で現れる譜例5は全音音階的である。カデンツの前で現れる譜例6では、1/4音までも使われている。この楽章は躍動的な激しいコーダで終る。


第2楽章 アンダンテ・トランクィロ 変奏曲形式 ト調

譜例7の主題は民謡風でもあるが、その後に多彩な7つの変奏(譜例8)が続く。バルトークは最初大きな変奏曲として曲全体の作曲を計画していたが、変奏曲という計画はこの2楽章にも結実している。


第3楽章 アレグロ・モルト ソナタ形式 ロ調 

変調子風にきこえる序的主題に導かれて生き生きとした第1主題が現れる(譜例9)。この第1主題は第1楽章の第1主題(譜例1)の音型と関連づけられている。その後に現れる譜例10による野生的な推移部では、バルトーク独自のリズム性が際立ってくる。落ち着いたテンポの第2主題(譜例11)は、やはり第1楽章の第2主題(譜例3)との関連が深く、6小節で12音音列を形成している。コーダになって出現する4度音程の動機(譜例12)は、第3楽章の主要主題で4度音程が重要な役割を果たしていることを強調している。第3楽章の終結部は当初は、現在多くの演奏家によって演奏されている現在の稿とは別の稿であった。この最初の稿ではヴァイオリン・ソロが曲の最後はないため、この曲の作曲を依頼したハンガリーのヴァイオリニスト、ゾルタン・セーケイの希望により最後まで独奏ヴァイオリンが活躍する現在の稿にバルトークが書き改めた。緊張感の高まりの中で華麗に終る。


終わりに

20世紀における最も偉大な作曲家はだれかという質問に対して、バルトークの名前を挙げる人は少なくないでしょう。ただ伊勢管弦楽団がバルトークの曲を演奏するのは、17年前に演奏したピアノ協奏曲第3番に次いで2回目で、私たちにとってまだまだ未知の作曲家です。ピアノ協奏曲第3番は第2楽章における印象的な祈りもありますが、バルトーク最晩年に特徴的な平易な作風の曲です。これに対して、ヴァイオリン協奏曲第2番は演奏すること自体もはるかに難しい曲となっています。しかし、それが故に、私たちがバルトークから学ぶところも多いのではないでしょうか。


伊勢管弦楽団  音楽監督  大谷 正人

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