三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。
シューマンの交響曲第4番
2021年04月04日 20:16譜例をこちらからダウンロードして御覧ください。
Ⅰ 第39回定期演奏会のプログラム決定の経緯
2020年から2021年にかけて、ほとんどの音楽団体がコロナ禍の影響を受けましたが、まずこの指揮者の部屋では、伊勢管弦楽団のこの1年あまりの練習や演奏会に関する協議の経緯などについてご報告いたします。伊勢管弦楽団では2020年5月17日に予定していました第39回定期演奏会を新型コロナウイルスの流行のために中止せざるを得なくなりました。練習も2020年3月から約4か月停止となりました。2020年12月13日に開催予定であった第10回松阪第九については、合唱付きの第九は実現不可能でしたが、松阪の第九を主催していただいている松阪第九実行委員会の、9年間続いてきた松阪での12月の演奏会の灯りをともし続けたいという強いお気持ちに応える形で、松阪第九実行委員会主催の伊勢管弦楽団松阪特別演奏会を開催させていただくことになりました。練習も2020年7月から少しずつ再開することになりました。伊勢管弦楽団松阪特別演奏会の曲目は、ステージにあがることができる人数制限、休憩なしという演奏時間の制限などから、チャイコフスキーの弦楽セレナード、ベートーヴェンのエグモント序曲、シューマンの交響曲第4番というものでした。2020年12月13日の演奏会に至るまで、練習に参加できるメンバーに一定の制限はあるものの、演奏会の実現に向けて努力し、松阪第九実行委員会のご尽力のお陰で演奏会も無事に実現できました。
2021年の5月は、当初は伊勢管弦楽団第40回記念定期演奏会として、マーラーの大曲、交響曲第3番を予定し練習もつみ重ねていましたが、マーラーの3番は合唱も加わり、ステージ上に180~200人があがるためにマーラーは1年先の2022年5月15日に三重県文化会館大ホールで実施するということになり、2021年5月16日は、当初2020年5月の第39回定期演奏会で演奏予定であったラフマニノフの交響曲第2番、プーランクの2台のピアノのための協奏曲を演奏することと2020年12月の段階では決定しました。しかしその後、新型コロナウイルス流行の第3波によって三重県でも緊急警戒宣言が出されました。これまでオーケストラの練習や演奏会でクラスターの報告はありません。しかし、感染予防が極めて重要なのは当然のことであります。そこで2021年5月16日の第39回定演では、ピアニストが1年前に既に十分な準備をされており、編成が比較的小さく演奏時間も短いプーランクはそのまま演奏し、演奏者が70名以上必要で、演奏時間も1時間弱のラフマニノフから、規模の小さいシューマンの交響曲第4番、およびフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲に変更することとしました。
新たに演奏する「ヘンゼルとグレーテル」は、2021年12月25日、26日にシンフォニアテクノロジー響ホール伊勢が主催する伊勢オペラプロジェクトとしてオペラの全曲上演が企画されています。伊勢管弦楽団も出演予定のこともあり、そのご紹介もかねて演奏させていただきますが、子どもも大人も楽しめる傑作オペラの前奏曲です。以上のように演奏会が二転三転せざるをえなかったことに対して、ご理解賜りますようお願いいたします。
Ⅱ シューマンの交響曲第4番
1.伊勢管弦楽団とシューマン
伊勢管弦楽団では、1983年から2003年までシューマンは定期演奏会で比較的多く演奏してきました。年代順に書くと次のようになります。ピアノ協奏曲(1983年の第2回定演)、交響曲第4番(1987年の第6回定演)、交響曲第2番(2000年の第19回定演)、交響曲第3番「ライン」(2002年の第21回定演)、4つのホルンのためのコンツェルトシュトゥック(2003年の第22回定演)。団員数が2006年にマーラーの交響曲第8番を演奏した頃から増えたため、比較的規模の小さいシューマンの管弦楽作品は定演のメイン曲として演奏することは難しく、演奏する機会がなくなってしまいました。しかし、シューマンの交響曲第4番は4つの交響曲の中でも一番の名曲です。
今回シューマンの交響曲第4番を1年間に2回演奏することになりましたが、曲をご理解いただくために、シューマンの生涯を概説し、交響曲第4番のどこが素晴らしいか、次に書かせていただきます。
2.シューマンの生涯
シューマン(1810-1856)はライプツィヒ大学やハイデルベルク大学で法科を学び始めましたが、大学は中退してピアニストをめざして、18歳の時からフリードリヒ・ヴィークにピアノを習うことになりました。しかし22歳の時には無理な練習のために右手の指が麻痺し、ピアニストを断念し作曲家として活動するようになりました。ヴィークの娘のクララはまだ10代であった当時から天才ピアニストとして演奏活動もしていましたが、シューマンとクララは1835年頃には相思相愛の関係になりました。しかし結婚については、フリードリヒ・ヴィークが猛反対し、二人の交際を禁じてしまったため、シューマンとクララが裁判までおこしてようやく結婚することができたのは1840年のことでした。シューマンのそれまでの作曲の中心はピアノ曲でしたが、特に1840年には「詩人の恋」「女の愛と生涯」などの傑作歌曲集が次から次へと作曲されたため、1840年は「歌の年」として有名です。
安定した家庭を獲得したシューマンにとって、自らの歴史的・社会的な責任の自覚、とりわけドイツ音楽で最も敬愛する作曲家ベートーヴェンやシューベルトへの意識や、シューマンが当時住んでいたライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団(メンデルスゾーンが指揮者)の存在などによって、管弦楽曲の作曲に重点を移しました。1841年は管弦楽作品を次々と作曲し「交響曲の年」と呼ばれています。シューマンがその楽譜を発見したシューベルトの交響曲第8番ハ長調は1839年に初演されましたが、その初演を聴いたシューマンは当時クララに手紙で「君が僕の妻になり、僕がこのような交響曲を書けたら」と書いています。1841年に2曲の交響曲が生まれましたが、2番目の交響曲として作曲されたのが、のちに第4番となった、このニ短調の作品でした。しかし、この交響曲の完成度に疑問もあったシューマンは1851年に改訂し、1853年に出版されたため、出版年の順によって今日まで第4番として親しまれています。
1852年ころからは、抑うつ症状、めまい、聴覚異常など、様々な精神・神経症状に悩まされるようになり、シューマンは沈黙、内閉への傾向を強めていきます。1854年2月には激しい幻覚妄想状態の中でライン川に投身自殺を試み、その後2年間は精神病院で過ごし、1856年7月27日に全身衰弱で死去しました。
3.交響曲第4番ニ短調Op. 120
曲は、4つの楽章から構成されていますが、全楽章が休みなしに演奏されます。最も大きな特徴は、第1楽章序奏の主題、提示部の主題が第2、3、4楽章にも出現し、全曲が構成上でも情感の上でも統一性をもって、緊密に構成されていることです。
第1楽章:かなりおそく‐いきいきと
冒頭にユニゾンでラの音(イ音)が鳴らされてからすぐに譜例1の旋律が第二ヴァイオリン、ヴィオラ、ファゴットで演奏されますが、この音階的に行きつ戻りつする感じの主題は、続く第2,第3楽章でも形を変えて現れる非常に重要な主題です。テンポが遅い序奏の終わりの方で、譜例2の旋律(次に現れる第1主題を示唆)が第1ヴァイオリンで演奏されて、テンポが次第に速くなり、提示部で第1主題(譜例3)が生き生きと演奏されますが、この第1主題は、上昇型の分散和音で始まり、その後、序奏主題の動機(譜例1)が3回続き、再び音階的に上昇(冒頭動機の反行形)していくという形をとっていますが、躍動感にあふれ、この交響曲のもつ情感を象徴しています。第1主題が第1楽章のみならず、第4楽章でも非常に重要な役割をはたします。展開部に入ると、3対1の付点のリズムが特徴的な動機(譜例4)が何度も展開されますが、これも第4楽章の提示部において重要な役割を果たします。展開部の途中で譜例5のような美しい旋律が第2主題のように現れて、この主題は第1楽章の終結に向かう部分で活躍します。
第2楽章 ロマンツェ:かなりおそく
ロマンツェとは、英語ではロマンスで音楽では抒情的な内容の小品を意味することが多いですが、この第2楽章では、冒頭のオーボエとチェロによる主題(譜例6)は、まさにロマンツェです。その後すぐに、冒頭主題(譜例1)がほとんどそのままの形で現れます。中間部では、ソロヴァイオリンによる譜例7の流麗な旋律が現れますが、これは次の第3楽章のトリオの部分の先駆けとなっています。
第3楽章 スケルツォ:いきいきと
冒頭のカノンのように追いかける形の主題(譜例8)は、冒頭の主要主題(譜例1)の反行形と考えられます。情緒豊かな中間部のトリオ(譜例9)は、流れるような旋律によりますが、この主題は第2楽章中間部の譜例7からきています。通常のスケルツォ楽章では、主部~トリオ~主部となるのですが、シューマンの場合は、第2トリオがしばしば置かれます。交響曲第4番では、第2トリオは、先に出たトリオと同じように始まりますが、次第に音が薄くなって第4楽章にそのまま移行します。まさに異次元の世界に移行するという雰囲気です。
第4楽章 フィナーレ:おそく‐いきいきと
おそいテンポの第4楽章冒頭では、第1楽章の第1主題が遅いテンポで、これからのドラマを暗示するかのように再現されます(譜例10)。この後、響きが厚くなり、テンポも盛り上がって、崇高な高みを象徴する場面が感動的です。この第4楽章序奏部は、交響曲第4番のみならず、シューマンのすべての管弦楽作品の中で、最も魅力的な箇所でしょう。提示部では、第1楽章提示部の主題(譜例3)と展開部の動機(譜例4)が統合されて、エネルギーにあふれて現われます(譜例11)。第4楽章で新たに現れるのは譜例12の主題ですが、この4小節目の上昇の音階進行が繰り返し反復されて、音楽はさらに高みを目指します。最後はテンポを上げて情熱的な中でも、古典的な均整感を保ちながら終わります。
Ⅲ おわりに
シューマンの若い時代のピアノ曲や歌曲の傑作は、たぐいまれな特質、生粋のロマン派音楽とも言うべきその美しさや情熱などによって非常に高く評価され続けています。それらに比べるとシューマンの交響曲に対する評価は極めて高いとは言えないかもしれません。しかし、交響曲第4番は、1841年に作曲され、1851年に改訂された経緯からもわかるように若い時代の情熱、長年の経験が生かされた統一感などを兼ね備えた傑作です。
最後に、私事になり恐縮ですが、私自身生まれて初めてオーケストラを指揮したのは交響曲第4番でした。当時、東京藝術大学音楽学部2年生で、指揮はレッスンと合唱の経験しかなかったのに、若い時の情熱から5時間の練習後に大学祭で聴衆の前で無謀にも、この難曲を指揮をしていました。交響曲第4番が憧れの曲であることは今もかわっていません。この憧れの名曲を1年間に2回演奏させていただける幸せを、多くの方々とも共有させていただけるよう心から願っています。
そして、2021年12月25、26日の「ヘンゼルとグレーテル」、また2022年5月15日のマーラーの交響曲第3番がコロナ禍から解放されて、皆様とその感動を分かち合えることを祈っています。
伊勢管弦楽団 音楽監督 大谷 正人
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