三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。


モーツァルトのピアノ協奏曲

2013年04月03日 07:48

モーツァルト(1756-1791)は自身で作曲したものとしては23曲のピアノ協奏曲を残していますが(最初の4曲は編曲したもの)、傑作揃いでピアノ協奏曲というジャンルはモーツァルトによって打ち立てられたと言ってもよいでしょう。モーツァルト研究家の中で最もすぐれた一人であるアルフレート・アインシュタインは、「ピアノ・コンチェルトにおいて、モーツァルトは、いわばコンチェルト的なものとシンフォニー的なものとの最後の融合の言葉を語った。この融合はより高い統一への融合であって、それを越えて行く《進歩》は不可能であった。なぜならば、完全なものはまさに完全だからである」と言っています。ピアノ協奏曲ではこのように完全な世界が表現されており、私自身は、モーツァルトが作曲した幅広いジャンルの中では、ピアノ協奏曲と歌劇に傑作が最も多いと思っています。このようなモーツァルトのピアノ協奏曲が23曲も後世に遺されたのは、人類にとって本当に幸せなことです。
 1784年から1786年にかけての音楽会シーズンには、第14番から第25番までの12曲のピアノ協奏曲がモーツァルト自身の演奏による予約演奏会のために作曲されました。モーツァルト自身が、協奏曲を余り音楽に聴きなれないような人が楽しめるようにも、同時にもっと進んだ耳をもっている人にも満足してもらえるように書くのだと言っていますが、その意図通り、自由に飛翔すると同時に構成感もあり、歌にあふれ、オーケストラの色彩感もある曲となっています。特に1784年12月から1785年3月にかけての冬のシーズンには19、20、21番のピアノ協奏曲が、1785年12月から1786年3月にかけては22、23、24番のピアノ協奏曲が次々に作曲されました。全く同時期、つまり初めのシーズンに「狩」や「不協和音」をはじめとするハイドンに捧げられたハイドン四重奏曲の数曲、後のシーズンには「フィガロの結婚」が作曲されています。この時代は、曲の量と質、そして人気という意味でモーツァルトの絶頂期であり、すばらしい協奏曲が次々と短期間で作曲されたのはすごいとしか言いようがありません。ピアノ協奏曲第22番はそのような傑作群の中の1曲です。


ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482について

 このピアノ協奏曲には、いくつかの特徴があります。まず第1に第3楽章の中間部にテンポがゆっくりのアンダンティーノ・カンタービレが置かれているためか、演奏時間が35分かかり、モーツァルトのピアノ協奏曲の中で最も長くかかることです。しかし構成も十分深く考えられており変化に富んでいるために、演奏者はもちろんのこと、聴き手を退屈させることはありません。第2にモーツァルトのこれまでの数々のピアノ協奏曲では、フルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、(トランペット)という管楽器の編成でしたが、この曲ではオーボエの代わりに当時一般的に使用され始めたクラリネットが使われており、響きがそれだけ柔らかくなっていることです。また同様にクラリネットが加わったと言っても、ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488の場合、陰影の深いクラリネットA管でトランペットやティンパニを欠くのに対して、第22番ではB管クラリネットでトランペット、ティンパニも加わっているため、響きが華やかになっています。
 第1楽章は、アレグロの生き生きした楽章ですが、単純な音階進行によりながらも一度聴いたらその美しさが忘れられないような副主題、展開部における陰影に富んだ転調など、モーツァルト独自の表現の絶対的美しさにあふれています。第2楽章はアンダンテのテンポによるハ短調の深い情感をたたえた音楽です。モーツァルトは数は多くないですが、短調の珠玉のような楽章を作曲しています。この第2楽章もその一つです。32小節に及ぶ長い旋律は非常に美しく、歌に満ちあふれており、人の声で歌っても何も違和感がありません。6つの変奏曲が続きますが、どの変奏も表情が多彩に移り変わり非常に魅力的です。当時短調作品は余り好まれない時代でしたが、初演の時にはこのアンダンテがアンコールとして演奏することを求められました。第3楽章は、モーツァルトらしい疾走し飛び跳ねるようなアレグロの曲でロンド形式でできています。この楽章で特徴的なのは、先に述べたようにアンダンティーノ・カンタービレの中間部が置かれていることです。管楽器、弦楽器、ピアノが対話する天上の世界のような中間部の後は、生き生きした主部が戻り、華麗に曲が終わります。

 

伊勢管弦楽団  音楽監督  大 谷 正 人

—————

戻る