三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。


ベートーヴェンの交響曲第9番

2017年11月19日 10:23

以下の原稿は、2017年12月10日に演奏予定の「松阪の第九」において、プログラムの挿み込まれる予定の原稿で、以前に執筆したものに修正を加えたものです。よろしければ御一読ください。

 

 クラシック音楽の歴史上、天才の大作曲家は数え切れないほどいます。その中でもベートーヴェン(1770-1827)の偉大さは傑出しています。それぞれの作品の完成度の高さとその多さ、生涯にわたって充実した創作活動を続けてどんどん高みに達していること、自由・博愛のみならず、超越的なものへの視点を持ち続けるその精神の崇高さ、後世への影響力、19世紀から現代まで続く演奏頻度の高さなど、どれをとってもあり得ない超ハイレベルです。しかも進行する聴覚障害のために、特に晩年には自分で作曲した音を正確に聴くことが不可能な状態で作曲したという想像を越えた存在です。その偉大さの故に、後世の人々がベートーヴェンを「楽聖」と名づけたのは当然の称号かもしれません(ちなみに楽聖とは19世紀のドイツでつけられた称号の日本語訳のようです)。

 このような偉大なベートーヴェンですが、私がベートーヴェンの作品の中で最も素晴らしいと思い、ベートーヴェンの諸々の傑作の中で、何よりも人類永遠の財産だと思うのは晩年の作品です。このような偉大な作品群が生まれた背景を理解するためには、ベートーヴェンの生涯に触れないわけにはいかないので、以下に記させていただきます。

ベートーヴェンは壮年期に聴覚障害の発症による人生の危機を、数多くの不滅の傑作を作曲することなどを通して克服し名曲を作曲し続けましたが、1812年以降数年間、作曲上も私生活でも最悪の危機的状態にありました。「おまえは自分のための人間であってはならぬ、ひたすら他者のためだけに。おまえにとって幸福は、おまえ自身の中、おまえの芸術の中でしか得られないのだ―おお神よ! 自分に打ち勝つ力を与えたまえ、もはや私には、自分を人生につなぎとめる何者もあってはならないのだ。―こうして、Aとのことはすべて崩壊にいたる―」(1812年の日記)。Aはアントニエ・ブレンターノのことと現在では推測されています。ベートーヴェンにとって恋人は何人もいたでしょうが、その中でも特別な"不滅の恋人"と言われています。しかしアントニエは人妻であり、ベートーヴェンのアントニエと一緒に生活するという夢は1812年に崩壊しました。この後、ベートーヴェンの生涯で最大のスランプに陥りました。1818年以降には作曲も勢いを取り戻してきましたが、作品の様式は後期の作風へと著しく変化してきました。この晩年にベートーヴェンが取り組んだのは、ほとんどが弦楽四重奏曲やピアノ曲でしたが、その中で、合唱と管弦楽の融合した2曲の超大曲を作曲しました。その一つが交響曲第9番で、もう一曲はミサ・ソレムニスです。

 1823年から1824年にかけて1年余りで作曲された交響曲第9番で最大の特徴は、交響曲史上初めて合唱が加わっていることです。シラーの頌歌「歓喜に寄せて」については、ベートーヴェンはボンにいた青年時代から作曲する意図を持っていました。"苦悩から歓喜へ"はベートーヴェンだけでなく、人間の永遠の本質的課題です。ベートーヴェンは、この曲を作曲する7年前の1815年に次のような手紙を書いています。「無限の霊魂をもちながら有限の存在であるわれわれは、ひたすら悩みのために、そしてまた歓喜のために生まれてきているのです。また、優れた人々は苦悩を突きぬけて歓喜をかち得るのだ、と言っても間違いないでしょう」。交響曲第9番における「歓び」は、苦悩の克服だけではなく、音楽による共同体を通しての人類愛への希求、愛の歓び、生死を越えた存在(神、霊魂など)による歓びなどが歌われています。それは特定の宗教を越えた宗教的世界、死を越えた超越的・宇宙的世界であり、聴覚障害のために孤独な生活を余儀なくされた上、結婚などの家庭的な幸せを断念したベートーヴェンが人々に愛・音楽・生のすばらしさを歌い語り続けた曲なのです。

 各楽章は以下のような特徴がみられます。

第1楽章 冒頭のA(ラ)とE(ミ)の完全5度(空白5度)による神秘的な開始で始まります。構成的には壮年期のような英雄的ソナタ形式による楽章で、悲劇的要素を中心に時には牧歌的要素が混じるなど、多彩な表現がみられます。曲の後半でニ短調の第1主題が拡大されて悲劇的に再現される部分は、「最後の審判」のようでもあり衝撃的で、後世の作曲家に大きな影響を与えました。最後は葬送行進曲風に劇的に終わります。

第2楽章 主部―トリオ部―主部の構成によるスケルツォ楽章ですが、舞曲概念の延長であるこれまでのスケルツォとは異なり、ベートーヴェン晩年に特有の宇宙的響きを感じさせる楽章です。トリオ部は歓喜の主題と同じニ長調となっており、主題の音型としても終楽章の歓喜の主題を暗示しています。

第3楽章 アダージョとアンダンテの二つの異なる性格の主題が交互に現れ、ベートーヴェンが晩年に愛用した変奏曲形式となっています。愛や美にあふれた歌が法悦の境地にも達しますが、楽章の最後では、第4楽章の「恐怖のファンファーレ」を暗示する不安な雰囲気の部分(トランペット・ホルン・ティンパニによるファンファーレ)を経て浄福のうちに終わります。

第4楽章 この終楽章は、A(ラ)とB(シb)が同時にぶつかるという不協和音による「恐怖のファンファーレ」で始まります。恐怖のファンファーレやこれまでの1~3楽章のテーマは低弦のレチタティーヴォによって否定されて、歓喜の主題がppから奏でられffの熱狂に至ります。その時突然、冒頭のファンファーレが再現し、バリトン・ソロが「このような音ではなく、もっと心地よく喜ばしいものを」と高らかに歌います。その後、シラーの頌歌により曲はソナタ形式や変奏曲形式を中心とした自由な形式ですすみ、最初の提示部に相当する部分では、「歓びよ、美しき神々の輝きよ、天上の楽園からの娘たちよ、我らは情熱にあふれて、天国の汝の神殿に足を踏み入れる。汝の不思議な力は、時が厳しく引き離したものを再び結び合わせる。すべての人々はきょうだいとなる。汝のやわらかな翼がとどまるところにて」と歌われます。次の展開部に相当する部分では、前半はトルコ行進曲風の前奏に続き、テノール独唱に導かて「天の完全なる計画によって太陽が喜ばしく飛びゆくように、走れ、きょうだいたちよ、汝の道を、勝利に向かう英雄のように喜ばしく」と男声合唱で歌われます。その後、オーケストラによる激しい闘争的間奏部を経て「歓喜の主題」が高らかに歌われます。展開部後半では宗教的・超越的な世界となり、「互いにいだきあえ、もろびとよ! 全世界の接吻を受けよ! きょうだいたちよ、星の天幕の上には、愛する父が必ず住みたもう。」と荘厳な合唱が続きます。この主題は第4楽章が半分以上経過した後で初めて明確な形で登場し、第4楽章前半では聴かれなかったのにも関わらず第2主題として重要であり、この交響曲において核心的な意味を持ち一つのクライマックスを形成しています。その後2重フーガによる歓喜の主題と第2主題の再現を経て、歓喜のコーダに曲は突入し熱狂的に終わります。

 世界の人々は、この傑作を大切なときに演奏する記念碑的な作品として、演奏してきました。日本では年末などにベートーヴェンの第九が演奏されるのは慣例となっていますが、1年の終わりに人類にとっての一番大切なものを再体験するかけがえのないひと時であり、すばらしい演奏がなされて聴いて下さっている方々と一体となった時、その輝きは永遠につながると思います。ベートーヴェンの至高の世界を御一緒に体験することができれば、望外の幸せです。

 

伊勢管弦楽団  音楽監督  大谷 正人

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