三重県伊勢市を本拠地として活動するアマチュアオーケストラです。


ブルックナー 交響曲第9番

2018年03月21日 17:25

譜例をダウンロードして御覧ください。

はじめに

ブルックナーについては、これまでにも指揮者の部屋で何度か掲載させていただきました。交響曲第9番をより深く理解していただくためには、2010年3月に掲載したブルックナーの生涯についての記事を、ご一読いただければ幸いです。ブルックナーは、ニーチェが「神は死んだ」と主張した19世紀の混沌とした世界において、比類のない個性的な作曲家です。教会のオルガニストとして長く活動し、神への絶対的信仰を持っていました。演劇的要素が非常に強いヴァーグナーを崇拝しながらも、当時流行的であった文学的潮流とは無縁に作曲をしました。作曲家としては40歳を過ぎてから交響曲の作曲を続けるという典型的な大器晩成型で、最晩年に至るほど曲は完成度を増していっています。その最高峰が交響曲第9番です。


成立の背景

ブルックナー(1824-1896)が交響曲第9番の作曲にとりかかったのは、1887年の9月で当時63歳になっていた。当時のブルックナーは、第8番の第1稿を指揮者レーヴィに送った時の冷たい反応から自信をなくしていた。この頃、交響曲第8番の改訂ばかりでなく、交響曲第3番や第1番の改訂などにも携わっていたため、第9番の作曲はなかなか進まず、ようやく取り組めるようになってきたのは、1890年からであった。1892年に第1楽章が、1893年には第2楽章が完成、しかし1893年には遺書を書くほどまで健康状態は悪化していた。そして1894年に第3楽章が完成したが、第4楽章を最後まで完成させる時間と体力は残されていなかった。第4楽章の作曲は、最晩年の2年間で続けられたが、最後の部分まで達せずにブルックナーは亡くなっている。

 ブルックナーは、その生涯と作品が直接的に関連した作曲家ではないが、交響曲第9番は、明らかに死を意識した箇所が随所にみられる。1893年3月には、友人への手紙に以下のように書いている。

「これでどのような状態かおわかりだろう。わたしはオルガンの演奏も許されていないし、また音楽を聴きに行くのも意のままにならない。すべてが神の思い召しのままなのだ。」

 ブルックナーは、これまで作品の成功や出世を願う気持ちから、王侯貴族に曲を献呈している。例えば交響曲第7番は、バイエルン国王のルートヴィッヒ2世に、交響曲第8番はオーストリアの皇帝に献呈された。しかし第9番は神に捧げられた。死を目前にしたブルックナーの神への祈りは、曲の随所に明らかに認められる。


第1楽章 「神秘的で荘厳に」と記載されている。第1主題は、冒頭から74小節までと長いが、特に重要な部分は譜例1~3である。譜例2のユニゾンの主題は厳粛な性格をもち、譜例3の最後では既に一つのクライマックスを形成している。これに対して、牧歌的な慰めに満ちた第2主題(譜例4)は、冒頭から4声のポリフォニックな特徴を示しており、第2主題から導き出される譜例5の部分は、特に美しい。人が自らの残り少ない人生を意識しながら知覚する世界は、特別な次元の美しさを帯びると言われるが、同様な表情の豊かさがあるのではないだろうか。ブルックナーのソナタ形式では、古典的なソナタ形式の場合とは異なり、第3主題まであることが特徴的だが、譜例3の第3主題(譜例6)は、第1主題と同じニ短調であり、立ち止まって内省するような性格をもつ第1主題と異なり、テンポも少し速く、流れるような主題で譜例7の主題へと引き継がれていく。

第1主題と第3主題(譜例7のほう)が展開された後、譜例2の部分の第1主題が激烈に再現される。すると曲想が突然変わって、行進曲風の雰囲気となり、第1主題(譜例2)の三連音符の動機あるいはその反行形を中心として曲はすさまじい推進力をもち、ついにカタストロフに達する。このあたりはゴルゴタの丘に向かうキリストのようでもあり、「怒りの日」のようにも思われる峻厳とした場面である。そのカタストロフの直後で弦楽器によって歌われる譜例7の部分は、この傑作の中でも最も美しい箇所の一つである。この後、第2、第3主題の再現・展開を経て、曲は壮大なクライマックスを迎える。このコーダ(終結部)は、譜例2、3、8の動機がほとんど同時に進行することにより、信じられない程の高みに達する。この第1楽章は、曲の最後に向かうほど、クライマックスが次第に拡大していくという稀有な構成をもつ曲であり、演奏時間が約25分と長いにも関わらず完璧な姿を示している。


第2楽章 いわゆるスケルツォ楽章である。スケルツォとは、イタリア語で、冗談や気紛れを意味しており、急速な3拍子で軽妙な曲が多いが、このスケルツォ楽章は異様である。この楽章の異常性は2つ指摘できるだろう。まず、主題(譜例9)をヴァイオリンのピッツィカート(弦を指ではじく奏法)で提示した後、冒頭部分のD(レ)の音の反復に続く異様な和音の連続がある(譜例10)。20世紀の音楽ならともかく、19世紀末にこのような宇宙的な雰囲気の作品が生み出されたことは奇跡的で、ブルックナーのこれまでのスケルツォ楽章には見られなかった雰囲気である。

もう一つの異例な特徴は、スケルツォ楽章の中間部、すなわちトリオにあたる部分にある。ブルックナーの他の交響曲では主部よりもゆっくりとしたテンポで演奏されることが一般的であるが、この第2楽章では、トリオでさらに速いテンポとなって、譜例9とは逆に上昇音型の主題が2オクターヴあまりの高さまで繰り広げられる。トリオの中間部に現れる叙情的な旋律(譜例11)も速いテンポのまま保たれて、調性も揺れ動き、感傷的になることは一切ない。スケルツォ楽章の後半はブルックナーの型どおり、主部がそのまま繰り返されて、第3楽章の至高の世界に移行していく。


第3楽章 「遅く荘重に」と記されたこのアダージョは、ブルックナーの生への別れの曲となった。曲は4つの部分から構成されている。第1部で、第1ヴァイオリンだけで演奏される冒頭の第1主題(譜例12)は調性が不明瞭で、5小節目になってニ長調が明瞭になったと予想できるが、すぐ後にようやく本来のホ長調に一瞬たどりつく。この冒頭の表現豊かな曲想は、後世(例えばマーラーの交響曲第10番第1楽章の第1主題など)への影響も大きかったと考えられる。この後、トランペットとホルンの対話(ホルンは譜例13)による神への賛美を経て、ワーグナー・チューバによる譜例14の旋律が媒介となって、次の安らぎの世界を象徴するような第2主題(譜例15)が現れる。

第2部は、冒頭の主題が再び演奏された後、すぐに上昇短9度音程の動機やその反行形、すなわち下降9度の音型などによる展開、第2主題の変奏などを経て、譜例16の旋律が燦然と弦楽器などによって奏でられる。これは譜例14の変奏であり、「生への別れ」の主題とも考えられる。この後、曲は第3部に進む。第3部では、最初は第2主題により盛り上がり、最後は第1主題により全曲最大のクライマックスを迎える。この破局的和音(嬰ハ短調の主和音と嬰ヘ・イ・ハ・嬰ニの減7の和音がぶつかる)の後、第4部となり、最後は交響曲第8番の第3楽章の主題、そして交響曲第7番の第1楽章の冒頭主題を回想して、安らぎの世界のうちに曲を閉じる。


終わりに

 伊勢管弦楽団では、ちょうど20年前にブルックナーの交響曲第9番を演奏しましたが、当時は伊勢管弦楽団にとって初めてのブルックナーであり、何よりも私の未熟さのために、ブルックナーの至高の世界に遠かったところも多々あったと思います。伊勢管弦楽団では、再演する曲は数少ないですが、ブルックナーの曲で唯一の再演であるこの交響曲第9番の演奏において、この交響曲第9番の永遠の輝きについて、共有できれば幸いです。



伊勢管弦楽団 音楽監督 大谷 正人

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